2017年8月6日日曜日

昭和の価値観

昭和の価値観についての御指摘は、考えさせられました。私も「力のない者に力のある側があれこれしなさいと指示する姿勢」に強い嫌悪感を覚えます。むしろ、これが問題意識の出発点と言っていいものです。私が個人の自由を重視するのも、この点にあります。
その権威主義的・集団主義的体質を昭和と表現しました。具体的には以下で書いた「甲子園エース温存の清々しさ」にある発想です。
http://www.hayariki.net/cul/baseball.html
もっとシャープな表現があれば、それを用いたいと思います。ご指摘の通り昭和の価値観と表現することは、良いものも悪いものも一まとめにする乱暴さがあります。そこが実は意図して用いているところで、良いとされる点も含めて見直す必要があるのではないかというところを含意しているためです。

「甲子園エース温存の清々しさ」で言えば昭和にはエースが頑張って連投してチームを勝利に導くことを良いという風潮があったと思います。野球の話題ついでに言えばドラフト制度があります。これは職業選択の自由を奪う非人道的な制度と考えます。ところが、昭和の保守も革新も、これを批判できたかという疑問があります。

逆に私の言うところの昭和の価値観には、有能な選手が弱小チームを立て直すことをかっこいいというような発想があるのではないか。本人が不利な条件下でも頑張って活躍することを良いという発想があるのではないか。私は、そのような選手ならば良い環境のチームに入団したら、もっと活躍できたのではないかと考えます。

次に御指摘とは正反対になりますが、昭和と表現することで意味を限定する意図もあります。個人主義的な立場から集団主義的なものを批判していますが、集団主義を全て切り捨てないことはコミュニタリアン的な立場からの反論を想定しているためです。

個人主義には個人主義を徹底して生きていけるかという根源的な問いかけを抱えており、コミュニタリアン的な反論を聞く耳を持っています。この点から柄谷行人読書会のアソシエーションにも期待するところがありました。しかし、コミュニタリアン的な議論を展開するならば、そのコミュニティーは個人を抑圧する前近代的なものの糊塗であってはならず、その意味でも私の言うところの昭和の価値観を批判することを前提としたいです。

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■ 林田力 Hayashida Riki
■■ 『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者
■■◆ http://www.hayariki.net/

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