2017年7月30日日曜日

「公共サービスと市民社会」評

希望のまち東京in東部読書会第44回「公共サービスと市民社会」では新自由主義的な発想が当たり前になっているとの議論がなされました。仮に新自由主義を批判する立場に立つとしても、この実態を直視しなければ的を射た議論にならないのではないかと指摘されました。

現実に政令指定都市の市長選挙でも野党系の候補者が「稼ぐ公共」を掲げています。これは新自由主義的な発想です。新自由主義を嫌悪する人が彼を応援するならば矛盾です。

そのような候補者でも「学校給食」を掲げるところに安心感があると思いますが、これは個人主義の立場からは疑問があります。皆が同じものを食べることを良しという集団主義的な昭和アナクロが反新自由主義の正体ならば新自由主義の徹底を叫びたくなります。

「公共サービスと市民社会」では新自由主義を肯定的に扱いましたが、新自由主義的な理念と新自由主義者とされる人々の言説に乖離があるのではないかと指摘されました。世間的な新自由主義は後者であり、後者の分析が必要ではないかと。

この指摘は正当と考えます。私も郵政民営化における東急リバブルかんぽの宿問題のような新自由主義的改革を装った利権政治を批判してきました(林田力「民主党新政権は「かんぽの宿」疑惑徹底解明を」ツカサネット新聞2009年9月2日)。

また、私は市民カフェ第152回でフリードリヒ・ハイエクを取り上げたように、設計主義に対する悲観論から消去法として市場主義を肯定する立場です。それ故に目を輝かせて「規制緩和を徹底すれば世の中は良くなります」という市場万能論にもひくところがあります。

そのために世間的な新自由主義を批判することにも価値があると思いますが、新自由主義批判に突っ走りたいと思えない理由は、昭和アナクロ的な集団主義への問題提起が置き去りにされてしまうことにあります。逆に新自由主義批判をすることが昭和アナクロの集団主義を温存することになる懸念があります。

最初の話に戻ると私の世代は新自由主義的な発想が当たり前になっています。たとえばとある革新政党の参議院議員選挙候補者がいました。相談料ビジネスを始めたとして炎上し、内部事情は知りませんが、離党しました。気持ち悪い点は、その方の家族が左派運動系の音楽ユニットに加入していたのですが、それも抜けています。私は都知事選における自民党都連の一族郎党処分に怒りを覚えましたが、それと共通の気持ち悪さを感じます。この点も五五年体制下の保守と革新は似た者同士ではないかとの思いを強くします。

閑話休題。件の相談料ビジネスですが、表現に議論があるとしても、無駄な相談をスクリーニングするための措置として理解できます。私は「不毛な相談に気をつけよう」という文章を書いたことがあります。
http://www.hayariki.net/eco/debate.htm

この方を誰も新自由主義者とは思わないし、本人も認めないでしょうが、無駄な作業をなくして人生を効率化するというところで、新自由主義的発想を自然なものとして持っているものと思います。そこは価値観が衝突するところです。

私が以前から指摘していることは、A担当が作業Bをやらされる不合理です。状況によって作業Bをすることを否定できない局面はありますが、問題は作業Bに引き抜かれたことで作業Aにマイナスが生じたということを理解しようとしないことです。「林田がAもBも手早く片付けて良かった」で終わってしまいます。そうではなく、「作業Bのせいで、本来ならば早くスムーズに終わるべき作業Aに様々な問題が発生した」ということを熱く語りたいのですが、聞こうとする姿勢すらありません。

A担当が作業Bをすることが無駄という意見に対しては、昭和的な発想では作業Bをすることもプラスの知識経験になると言いがちです。しかし、そのように他人に幅広さを求める当人は、作業Bの実施による作業Aのマイナスというトレードオフの論理を聞こうとしません。そのような話は聞きたくないという姿勢が露骨です。そこは公平ではなく、昭和アナクロの価値観を一方的に押し付けたいだけではないかと絶望的な思いがあります。

次週の読書会は熟慮民主主義です。価値観のギャップを埋められるようなヒントも期待します。

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■ 林田力 Hayashida Riki
■■ 『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者
■■◆ http://www.hayariki.net/

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