2017年7月8日土曜日

立正佼成会附属佼成病院裁判

立正佼成会附属佼成病院裁判で原告は、「命の大切さ」を訴えている。患者本人にとって最も重要な『自己の命を処分』するについて、いかに近親者であろうとも他人によって『自己の命が処分』されることは本人にとって不当である。

まして近親者による治療中止の意思が「とても見ていられない」などのように患者本人の気持からではなく、他人の気持によって決定がなされることは、処分してもいい理由にはならない。そもそも倫理的に妥当な殺し方など存在しない。人間の生命はすべて同価値であり「生きる価値のない生命」や、「あわれみによる死を与える行為」などは存在しないから絶対に許容しえない。

佼成病院では、患者の長男が患者の経鼻経管栄養の滴下速度を速めて、その後嘔吐して具合の悪くなった患者の治療を拒否して、患者を死亡させた。佼成病院は、患者の経鼻経管栄養の滴下速度が速められたことを知らなかった。管理が杜撰であった。

佼成病院の担当医師は、患者の長男の要望で通常行われている治療を中止した。患者本人には、治療方針の説明はなく、意思確認もしなかった。患者の長男は、数々の治療を拒否したが、医師によるインフォームド・コンセントもなく、家族達で慎重な協議もしていない。患者の長女は、母親の死から2年後に母親は、残酷な死なせ方で命を絶たれたことを知った。

佼成病院の担当医師は平成28年6月1日、「患者さんの意思確認はしない」旨を証言した。しかし、患者は一人一人事情が違うのだから、延命の可能性のある患者の治療行為を差し控えるべきか否かの判断は、患者の最善の利益のために行動しているか、まず患者、医師、家族関係者間で慎重に協議されなければならない。

患者に診断を知らせることが医師の役割と職務であり、医師の説明義務の伴わない判断はあってはならない。利用可能な治療方法の性質や、患者が現実になにを選択できるかについて説明し、その上で治療方法の決定は、患者がするべきであり、つまり治療を続けるかどうかをきめる権利は、医師ではなく患者の自己決定権にある。

患者本人と入念に相談し、適正な書式を整え、カルテに適切な記録を残す。決定が不注意になされたり、一方的になされたり、誰がしたのか分からないようなことがないよう、明確な手続き上の予防措置を講じる必要がある。

患者の長男が治療を拒否したからと言って、簡単に退いてはいけないのであって、医師の責任を免れるものではない。患者又は、家族が治療を拒否した場合、医師はすぐに追加説明を始める。医師には、患者のために最善と判断した治療を受け入れるように患者や家族に働きかける義務がある。

佼成病院では呼吸困難の患者に夜だけ酸素吸入し、日中は酸素吸入を外して自力呼吸させていた。立正佼成会の答弁書11頁は以下のように書く。「夜間の看護が手薄なところで、もし過度な濃さでの酸素が供給されたために、却って呼吸管理に問題が生じたりしては困るから、あの状態の生体が間違え要もない程度に、量は決して多くないが酸素供給をしていたのである」

なぜ「夜間のみ少量」の酸素吸入を行ったのか。その理由について、担当医師は、「夜間は酸素吸入を行うことで延命ができて家族を呼び出すことを避けられる」旨証言した(調書35頁)。これは、酸素の量を調整すれば、やはり酸素吸入が延命に役立つことを意味する。

立正佼成会の平成28年1月21日付準備書面19頁でも「もとより、酸素がある方が本人は楽であろうが・・夜間は手薄・・夜間に最期を迎えて家族をあたふたとさせるようなことがないようにとの配慮である」として、酸素吸入が延命に役立つことを認めている。

担当医師は、呼吸苦にあえいでいる患者の姿を見て、「苦しそうに見えますが今お花畑です」と言った。もがく思いで息をしなければならない苦しさは、生きるにしても死ぬにしても最悪である。人間息ができないことほど苦しい状態はない。水に溺れた時の状況を想像してみて下さい。呼吸を和らげる方法はたくさんあり、医師には可能である。医師は、患者の苦痛を緩和する義務がある。

「苦痛緩和のための措置」は、もともと「死期を単に延長する措置」には含まれない。たとえ死が迫っていても苦痛が緩和されれば、一日でも、半日でもこの世にいきていることは、貴重だと感じるのは当然だからである。生命を維持することは人にとって最も基本的な利益であって、その可能性は法によって保護される利益である。

佼成病院の対応は、インフォームド・コンセントの視点からもQOLの意味でも全く基本を守っていない。患者に苦痛を与える対応には、「なんて恥ずかしい仕事をしているのだ」と怒りを持つ医療関係者もいる。人道的な医療であるためには、患者、家族達、医師達関係者間で、患者の幸せを考えて何が最善の医療であるのかを慎重に協議する必要がある。しかし、佼成病院は、患者の意思を確認せず、治療方針の説明もせず、家族達との十分な協議もしていない。

担当医師による「インフォームド・コンセント」が行われていない。医師の過失とは「客観的に一定の基準行為を怠ること」である。患者の最善の利益は、医療的パターナリズムによってではなく、患者本人の主観的判断を基礎に於いて決定されなければならない。患者本人が生命を放棄していないのなら、たとえ患者の長男であっても「死を与える決定」はできない。
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■ 林田力 Hayashida Riki
■■ 『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者
■■◆ http://www.hayariki.net/

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