2017年2月22日水曜日

佼成病院裁判

佼成病院裁判は、患者の利益を考えた治療をしたか。患者の命の処分は、適正な手続きの基で行われたのかを、患者の長女が訴えた裁判です。高齢者の尊厳を守る重大な裁判です。高齢者の人権を守る裁判です。
立正佼成会が経営する東京の佼成病院では、患者の家族が患者の経鼻経管栄養の滴下速度を担当医師の許可を得ることなく速める事件が起きました。無資格者の患者の家族が、患者の経鼻経管栄養の滴下速度を勝手に調整しました。
佼成病院は、患者の経鼻経管栄養の速度を調整・管理していませんでした。佼成病院では、患者の経鼻経管栄養の開始時刻、終了時刻の記録を付けていませんでした。証人尋問で原告代理人の「開始した時刻、終了した時刻の記録はつけていないのでしょうか。」の質問に対して担当医師は「みたいですね」と答えました。
患者の経鼻経管栄養の開始時刻、終了時刻もわからないという杜撰な状態でした。速められたこともわからないとは、杜撰な管理に驚きを禁じ得ません。経管栄養という栄養法は、誤嚥性肺炎を起こしやすく、患者の死にいたるリスクが高いため細心の注意が要求されます。入院患者の安全が心配になります。
佼成病院は、患者の経鼻経管栄養の管理が杜撰でしたが、高齢者の治療中止の決定や手続きも簡単でした。患者の長男は、数々の治療を拒否しました。頻繁に見舞いに行っている患者の長女は、母親の治療中止を何も知りませんでした。患者の長男が酸素吸入を拒否したので、担当医師は息ができない患者に自力呼吸をさせました。
夜死んではまずいので、患者は、夜だけ酸素をしてもらえて昼間は、はずされるという苦しい状態が続きました。佼成病院の医師は「もとより酸素があるほうが本人(患者)は楽であろうが、夜間に最期を迎えて家族をあたふたさせることがないようにとの配慮である。」と述べました。
患者は、生きようと目を剥きだして必死で息をしていました。残酷極まりないことです。担当医師は目を剥きだしている患者を前にして「苦しそうに見えますが、今お花畑です」と言いました。何も知らない原告は、何のことだかわかりませんでしたが、母を助けることができずに今でも苦しい思いをしています。酸素吸入は、生活の質(QOL)を改善し寿命をのばすことがわかっています。
長女は、母親の転院先の施設を探していましたが、入院から83日で母親は「命」を絶たれました。長男は、母親を自然死させる確認をしたあと、葬儀場へ行き葬儀の予約をして前納金を支払い、葬儀場を二日間貸し切りにしました。患者本人の承諾を得ないで、長男の要請だけで治療が中止されるのなら、患者は、おちおち入院してはいられないです。病院は、都合の良い「姥捨て」になります。
佼成病院裁判は、人工呼吸器を付けるかどうかの問題ではありません。患者は、意識があり、自力呼吸もできていますが、長男は母親の治療を拒否して、酸素マスクなども拒否しました。患者本人の意思確認をしないのは、人として一番大事な最期の場面での自己決定権を奪われたことになります。家族の一人の拒否を担当医師は、簡単に受け入れてはいけません。患者の「命」の処分が軽すぎます。

担当医師は、患者の意思を確認しないで治療を中止して患者を死に至らしめました。佼成病院の担当医師は、自己の理念で「患者さんには治療方針を確認しません」と言いました。母は、何も知らされないまま命を絶たれました。佼成病院の担当医師は、患者が苦しくないように、患者のためを考えた最善の医療をしませんでした。
高齢者だから判断能力がないと決めつけないで、能力に合わせた言葉で「まだ生きたいか。治療を中止していいか」などまず、患者本人の意思を尊重するべきです。やさしくわかりやすい言葉で、治療方針を説明するべきです。患者が高齢者で判断能力がないとする評価は、担当医師の判断だけでなく複数人で慎重に調査するべきです。
厚生労働省「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」(2007年)は患者の意思が変化するものであることに留意して、その都度説明し患者の意思の再確認を行うことを求めています。ガイドラインには、患者の終末期について医師や家族を含めた関係者間で綿密な話し合いを行い、結果を書面にとどめておくことも記載されています。

佼成病院裁判は、「患者の自己決定権」を訴えた裁判です。「自分の最期は自分で決めたい」など患者の自己決定権を訴えています。誰もが避けることができない「最期の医療をどうするか」など大勢の人に議論してもらいたい問題です。高齢化社会に向けて大勢の方々に議論していただきたい問題です。
患者本人が生命を放棄していないのなら、たとえ親族であっても他者による「死を与える決定」は、なされてはならないのです。そもそも患者本人の意思が不明の場合に家族が治療しないという選択をしていいでしょうか。患者本人の意思を無視したと主張してきましたが、一審判決では患者が意思表示ができたか否かが論点となり、後者と判断されると自動的に「患者本人の意思を無視した」が成り立たなくなる論理構造になっています。
しかし、生命に関わることを家族が代わって意思決定することは許されるのか。治療をしないという決定は、リビングウィルなどで本人の意思が明確に表明されていない限り、してはいけないことではないかという主張も成り立つのではないでしょうか。この場合、患者の意思表示ができたか否かは問題ではなくなります。
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