2016年11月11日金曜日

Re: 希望のまち東京in東部市民カフェ第119回

林田です。感想ありがとうございます。
大変難しい問題提起であると感じました。

> 100%の人々の幸せを求められない社会になることを危惧致します。
中々これは難しい命題と思います。
99%が幸せになる計画と100%が幸せになる計画のどちらが優れているか、それだけを尋ねられれば後者になるでしょう。
しかし、90年代以降の経済学に接しているので、ゼロサム的な考えに馴染みます。
ある者に利益を与えることは、別の者には不利益になるという現実を考えます。
全体のパイが拡大すればゼロサムを避けられますが、それは右肩上がりの高度成長期の昭和の発想で、それ自体が今や非現実的に感じます。

そのために「100%の人々の幸せ」を目指すという命題が実現可能かつ説得力を持ったものとして受け入れられるかという点が気になります。

たとえば公共事業を中止して、福祉予算を増やすという論理ならば明快です。
しかし、大企業には汲めども尽きぬ内部留保という魔法の泉があり、それを分配すれば皆が豊かになれるという話になると嘘臭いと感じてしまいます。
(実際の内部留保分配論者は真剣に大企業の会計報告を精査して、これだけのキャッシュがあることを確認しているのかもしれませんが、一般に聞かれる論調は、あるところにはあるとイージーに考えている気がします)

以下の「都政改革」は私が希望の塾の申し込みの課題として書いたものです。
http://www.hayariki.net/kibou.html
そこでは「危険ドラッグ、貧困者を搾取する脱法ハウスなどの貧困ビジネス、ブラック企業、半グレ集団、ペット引き取り屋などの反社会的ビジネスの根絶」と通常に生活している人ならば誰もが問題にする反社会的ビジネスではありますが、問題を設定しています。

五五年体制のイデオロギーで敵味方を峻別することは時代遅れですが、右でも左でも批判できる一致点にすることから始まるのではないかと考えています。

> 国境という枠や、その他自分の中で設定した枠の中での自治や自由、平等を目指すのであれば、他人ごとではあるのですが、世界は一つ、人の命や人権は、どこであり尊びたいという思いからは、これを見過ごすことに大きな罪悪感を感じます。

私にも似たような問題意識があります。
目下の悩みは、南スーダン問題です。
戦後日本の平和主義の路線では自衛隊撤退を求めることになるでしょう。
しかし、国際社会が不干渉を貫くと、政府軍が反政府系部族を虐殺するという結果になるでしょう。
それを良しとするかという問題があります。
それ以前に日本の平和運動がそのことをどれだけ認識しているかというところに心許なさを感じています。
たとえば南スーダンそのものからは離れますが、ダルフールという言葉を知っている方がどれだけいるか。
経緯を踏まえると南スーダンの独立は画期的なことであり、この国を見捨てることに忍びなさを感じます。
日本の法律論からすれば無理があり、「戦闘は起きていない」と強弁することは議論として腹立たしさも感じますが、PKO自身が一歩前に進むことを求められていることも事実です。
そのような状況において「規則だからできない」は官僚的な思考で、どうすればできるかの姿勢が求められるのではないかとも思います。

冷戦時代ならば内戦当事者の一方に米国が付き、他方にソ連が付くため、どっちもどっちとなり、日本が巻き込まれないようにすることに一定の意義があったと思います。
しかし、冷戦後は世界から見捨てられるという状況も起こります。
東ティモール問題の時から、そこは平和主義の弱点であったと思います。

■ 林田力 Hayashida Riki
■■ 『東急不動産だまし売り裁判』著者
■■◆ http://www.hayariki.net/

---
このEメールはアバスト アンチウイルスによりウイルススキャンされています。
https://www.avast.com/antivirus

0 件のコメント:

コメントを投稿