2016年10月16日日曜日

「都民ファーストか蓮舫ファーストか」反論意見について

「都民ファーストか蓮舫ファーストか」反論意見について
「都民ファーストか蓮舫ファーストか」に対する反論意見は、反論意見としては至極真っ当なものと考えます。反論意見に異議を申し立てるような性格のものとは考えません。反論意見のような考え方は想定の範囲内であり、それに異議を述べる方が言論空間を破壊する異常な対応です。

私にとって、最も許せないものは自分に都合の悪い意見を「あてにならない」と根拠なく否定し、相手の意見を聞かず、自説を押し付けるだけの左翼教条主義者です。今回も恥知らずにも内容を読んでいないと述べており、迷惑でしかありません。

私は鈴木ようすけ候補の「蓮舫姉さんに恥をかかせないためにも頑張らないといけない」意見を批判しました。それに対して反論意見は、それ以外の鈴木候補の言動を踏まえて総合的に評価して欲しいとしており、ここでは議論は成立しています。相手の根拠を「あてにならない」と否定する左翼教条主義者とは大違いです。

私は個人よりも全体(集団)の利益を優先し、滅私奉公を強いる全体主義に対して最も強い問題意識を持っています。それ故にソ連や北朝鮮からブラック企業に至るまで共通する個人崇拝的な狭いカルト的体質を嫌悪します。それが鈴木候補の「蓮舫姉さん」発言に現れていますので、私にとっては枝葉ではなく、本質的な発言です。

このために「蓮舫姉さん」発言を片言と矮小化することには同意しませんが、片言と矮小化することは私が考える中でも反論としては上等な部類に入ると思います。「人的な濃いつながりがあることは良いことだ」的な昭和の価値観で正当化するより、はるかに上等です。野党共闘の動きに対しては陰謀家的な動きが横行し、透明性に欠けると批判されていますが、その批判を裏付ける反論になってしまうでしょう。

全体の流れの中で考えて発言することも当然なことです。むしろ私は全体の流れを意識した上で「都民ファーストか蓮舫ファーストか」を書きました。私は左翼教条主義者と異なり、面白くないと思ったことを垂れ流している訳ではありません。

たとえば私は「鳥越俊太郎さんを応援する市民センター発足集会」のレポートを書きました。正直なところ、この集会は美濃部都政カムバックという古い左翼色が濃厚で、実は評価できないものでしたが、この段階では良いところを見出すという姿勢で書きました(私の本音は選挙後に書いた「都知事選・生活密着課題置き去りの絶望感」にあります)。

だから、東京10区補選に対して私に同じ姿勢を求める意見があったとしても、それ自体は悪いことでも言論抑制でもありません(それを受け入れるか否かは私の自由ですが)。むしろ私が左翼教条主義者とは異なり、そのような政治的配慮が可能な人と見なしているから要望している訳で、その点では相手を認めている故に述べた要望と言えます。自分に都合の悪い意見を「あてにならない」と根拠なく否定する左翼教条主義者に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいの立派な姿勢です。

異議はヴォルテール的寛容(私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る)とは全く異なる左翼教条主義者の独善です。単に左翼教条主義者の立場から民進党を批判したいだけであり、「都民ファーストか蓮舫ファーストか」とは無関係です。そのような左翼教条主義に対しては共同のための我慢を説く反対意見が正論になります。

一方で私は、この「共同のための我慢論」には欠陥があると考えています。共同のための我慢論は冷戦時代のまま生きているような左派を共同に納得させる上で効果を発揮しました。そこは肯定します。しかし、共同候補者よりも右にいる中間層に対して我慢を強いることが成り立つか甚だ疑問です。それは鳥越候補の都知事選敗北で感じました。

もともと人間にとって我慢は好んでするものではありません。旧左翼との決別とまでは言えないとしても、せめて昭和の価値観との決別を「仕方なく我慢」ではなく、積極的肯定的に打ち出せるようにならないと魅力的にならないと考えます。

都民ファーストか蓮舫ファーストか
http://www.hayariki.net/poli/risshou.html
鳥越俊太郎さんを応援する市民センター発足集会
http://www.hayariki.net/poli/torigoe3.html
都知事選・生活密着課題置き去りの絶望感
http://www.hayariki.net/poli/tochiji2016.html

--
■ 林田力 Hayashida Riki
■■ 『東急不動産だまし売り裁判』著者
■■◆ http://www.hayariki.net/

0 件のコメント:

コメントを投稿