2010年6月30日水曜日

東急不動産の文京区小日向マンションが高さ違反

東急不動産は2010年5月23日付で、東京都文京区小日向4丁目の新築分譲マンション計画「(仮称)小日向プロジェクトII」の建築確認申請を取り下げた。東京都から北側斜線・第3種高度の制限区域において、建築確認の不備の指摘を受けたことが理由である。建築工事も中断した。

「(仮称)小日向プロジェクトII」は東急不動産による複合開発の一環で、建設地は春日通りに面する。地上22階建て、戸数約100戸のマンションである。施工は鹿島建設東京建築支店、設計は野生司環境設計、アークロード一級建築士事務所である。民間の指定確認検査機関「日本建築センター」が2008年12月に建築確認を下ろした。竣工予定は2012年とする。同じ開発街区では新築分譲マンション「ブランズ文京小日向 レジデンス」の建設が先行しており、こちらは2010年7月竣工予定である。
http://www.janjanblog.com/archives/7531
「(仮称)小日向プロジェクトII」の問題は隣接するレクサス小石川販売から空中権を購入して高層マンション(100m規模)を建設する点にある。このために近隣住民からは「レクサス・マンション」とも呼ばれている。高層マンション建設に対しては、住民団体「春日通りの街並みと生活環境を考える会」をはじめとして、近隣住民らによる反対運動が起きている。

反対運動では空中権や連坦制を名目に本来ならば建設できない高さのマンションが建設され、周辺から突出してしまうことを問題視する。同じ敷地で同じ所有者ならば兎も角、売却した敷地に別の所有者が建設する建物に容積率を譲ることは不可解である。袋小路の奥の空地利用などを念頭とする連坦制を利用して、大通りである春日通り沿いに高層ビルを建設することは制度の濫用であると主張する。

文京区には教育機関や寺社、墓地など容積率の余った土地が多い。そのため、連坦制の悪用が許されるならば高層ビルが乱立する危険もある。その点で反対運動は建設地周辺だけの問題ではない。また、高層建築による風害も指摘する。
http://news.livedoor.com/article/detail/4854362/
http://www.pjnews.net/news/794/20100626_6
「(仮称)小日向プロジェクトII」の敷地西側は第二種住居地域になっている。建物北側の日当たりを考慮して都が定めた高さ制限「第三種高度地区」を適用すると、最高9階までしか建てられない。この違反は近隣住民の指摘によって明らかになった。その中での建築確認申請取り下げ・工事中断であり、「春日通りの街並みと生活環境を考える会」では会報で「彼ら(注:東急不動産ら)は違反建築物を建てようとしていたことを認めたことになります」と評する。

東急不動産側は5月29日付で、近隣住民向け文書「「(仮称)小日向プロジェクトII」新築工事 工事中断について」を配布した。また、2010年6月12日19時から文京区立アカデミー茗台にて説明会を開催した。東急不動産側は「建築確認が下りた物件を再チェックすることはない」と説明したという。耐震強度偽装事件で嫌というほど見せられたデベロッパーの無責任体質が、ここにも表れている。(林田力 『東急不動産だまし売り裁判』著者)

東急リバブル不買運動家の矜持

東急リバブル不買運動家の矜持
やるとなったら徹底的にやる。それこそが東急リバブル不買運動家の不買運動家たる所以であった。頭をはっきりさせようと額を三回叩き、だまし売り事件に意識を戻した。
言いたいことは単刀直入に言う。回りくどい言い方抜きで。それが不買運動家のやり方であった。不買運動家は事態を最大限に活かし、最も効果的な戦略を見つけることに秀でている。まさに才気溢れる人物であった。不買運動家は消費者を踏みつけにしている東急リバブル東急不動産を絶対に許さなかった。
東急リバブル東急不動産に悪態をついて歯を磨き、服を脱いで布団に潜り込んだ。

悪徳不動産営業の家は、デタラメに積み上げられたとしか思えない雑誌とビデオの巨大な山が所狭しと置かれ、ほんの数分前に嵐が通り過ぎていったかのような有様であった。
悪徳不動産営業の多くはサプリメントを多用していた。サプリメントの副作用による激発的な憤怒は、明らかに暴力的現象であった。

2010年6月29日火曜日

二子玉川ライズ問題住民集会

二子玉川ライズ問題住民集会
口頭意見陳述完了後僅か一ヶ月後に採択された。形骸化している。大変な憤りである。玉川支所での意見陳述で風間課長のうなずきは何だったのか。口頭意見陳述内容の共有を目的としていたが、情勢変化による議題変更。
事実関係の説明。意見書を採択する場合とは17条の認可基準とすり替えの回答。
交通問題、道路問題、工事の問題への質問については準備組合の事務局長に聞け。世田谷区拠点整備第二課に聞け。たらい回し、無責任な振り分けをしている。
審査基準の説明を求めた。審査が始まる前は会っていたが、審査開始後は忙しいと引き延ばしされた。東京都に対して情報公開請求をした。
道路問題。玉川支所で質問。地域内の車両通行状況。駒沢通り、玉堤通りなど渋滞の緩和にはなっていない。再開発工事をやるための道路の整備にしか見えない。返事は一括で来たが、再開発組合及び準備組合に問い合わせよいうものであった。
公園問題。自動車学校の協定書は前進しない。五島育英会は捺印しない。世田谷区の人が呆れるくらい。東急がだめ。二子玉川開発事務所の人間も出ない。下水道と雨水のことで、やり合っている。
再開発の失敗例を持っていった。誰が責任をとるのか、再開発組合が取る。東急に能力があるのか。心配しなくてもテナントは入る。何を根拠にしているのか、驚いた。
エコタウンを作る会。自民党は全く返事を出さない。視察にも来てくれない。我々の土俵に相手を引き込まないとならない。
ライズに行った。人工地盤は完全にステージになっている。再開発組合は決めたことには耳を貸そうとしない。ライズのステージから街を見ると大変なことになると分かる。
暫定堤防。見苦しくも土嚢を三段積み。最終的に力になるのは住民。事情が異なるところを世田谷区や東京都や国に突かれている。
意見書採択結果はガス抜きに過ぎない。再開発組合や世田谷区にたらい回しした。東京都は当事者能力がない。それにも関わらず、許認可権限がある。日本の政治は腐っている。
この事業は成功する見通しはあるのか。失敗すると予想される。知りたいことは沢山ある。フランクに話をする場所を作る。
住民団体が集まったので、東京都はまともに立ち向かったら大変なことになると思って、形式的な回答で逃げたのではないか。
シンパシーが重要。些々たる法律論を語るつもりはない。文学者としての石原慎太郎に語るつもりで意見書を書いた。住民運動が盛り上がると、行政は引く。政党も住民運動を値踏みしている。
この先どうすればいいかが一番大事。意見書を出すというのは行政のポーズ作りに利用されることにもなる。それでも住民は利用しなければならない。二時間陳述した。東急電鉄は再開発を責任をもって進められる会社か。東急電鉄の基盤は脆弱。有利子負債が一兆三千億円。普通の会社ならば、やってられない事業である。補助金あっての再開発である。補助金を出す側の世田谷区も財政は厳しい。ライズは展望なき計画。税金の使い方を徹底的に勉強する。何でこんなことに税金を使うのかと誰でも思う。昔は考える会一つだったが、運動が広がっている。
金子。外環道と二子玉川ライズが不整合を起こしている。東名以南の問題。二子玉川しかない。まっすぐいけば二子玉川ライズになる。もう街ではない。国は余計なことをするな。郷土の自然や景色を残すことは大切。
東京都の意見書審査姿勢を抗議する。質問にも回答しない。たらい回しにも抗議する。 どのように審査したのか速やかで明確な説明を求める。
淵脇弁護士。この取り組みは画期的。住民が街づくりを提案できる力があることを東京都にアピールできた。住民の連帯のベースができたことは大きな前進。こちらの返事がないのに不採択通知が来たのはどういうことかと抗議した。ところが、東京都側は今更話すことがあるのかと開き直った。それまで事業認可しないことは約束できない。それは人としておかしいだろうと抗議した。
今は行動の時。外に向かって発信しなければいけない。

林田力「二子玉川東第二地区再開発問題で住民集会」

東京都世田谷区の二子玉川地域の住民団体が共同で2010年6月27日に玉川町会会館(二子玉川ライズ・バーズモール2階)で住民集会を開催した。二子玉川東地区住民まちづくり協議会、にこたまの環境を守る会、二子玉川の環境と安全を取り戻す会、二子玉川公園と道路を間う会など8団体の共催である。

二子玉川東第二地区第一種市街地再開発事業では多数の住民が反対の意見書を提出し、口頭意見陳述を行ったが、口頭意見陳述終了後僅か一ヶ月後に意見書不採択が通知された(林田力「二子玉川第二地区再開発への意見書採択結果通知」PJニュース2010年6月23日)。
http://news.livedoor.com/article/detail/4843071/

不採択通知内容を住民間で共有し、今後の行動につなげることが住民集会の目的である。最初に形式的な通知に対して憤りが表明された。東京都都市整備局市街地整備部の風間初美・民間開発課長は住民の口頭意見陳述に何度も頷いていた。あの頷きは何だったのか、と怒りの発言がなされた。

また、意見書提出者宛の通知文がほとんど同一であることも問題視された。そこでは都市計画決定など意見書や口頭意見陳述よりも前に行われた手続きを持ち出している。現段階で都知事が一人一人の意見に対し、どのように考え、どのように対処したのかという審査内容が示されていなかった。

意見書提出者の中には具体的な質問をした人もいた。それに対する都の回答も粗末であった。まず質問に対して回答していないものもある。回答があるものも、第二地区再開発準備組合や世田谷区などに「問い合わせ下さい」と、たらい回しにするものがほとんどであった。
http://www.janjanblog.com/archives/7460
以下、住民から意見書・陳述内容や東京都の対応その他の問題について説明された。

第一に意見書採択基準である。「どのような場合に意見書を採択するのか」との質問には都市再開発法第17条の「認可の基準」によるとの回答であった。しかし、第17条は抵触していたならば認可できない最低基準であって、より良い街づくりのために意見書を採択するかの基準とすることは、すり替えである。

第二に道路問題である。駒沢通りや多摩堤通りなど渋滞の緩和にはなっていない。再開発工事をやるための道路の整備にしか見えない。地域内の車両通行状況など様々な質問をしたが、返事は一括でなされ、「再開発準備組合に問い合わせよ」というものであった。

第三に二子玉川公園問題である。東急自動車学校解体工事の協定書締結協議は前進していない。事業主の学校法人五島育英会が捺印しようとしないためである。施工業者の東急建設も担当支店が二子開発建設事務所であることさえ住民には中々明らかにしようとはしなかった。東急側の頑迷さは仲介に入った世田谷区の担当者が呆れるくらいであった。

第四に再開発の事業遂行能力への疑問である。高層ビルを林立させる時代遅れの大規模再開発は失敗する。これは多くの住民が予想するところである。口頭意見陳述では再開発の失敗事例を持っていった住民がいる。

二子玉川東地区再開発が失敗したら、誰が責任をとるのかとの質問したが、再開発組合との回答であった。再開発組合は再開発が完了したら解散してしまう。後は野となれ山となれの無責任状態になる。また、「東急に再開発を成功させるだけの能力があるのか」と質問には、「心配しなくてもテナントは入る」との回答であった。何を根拠にしているのか、無責任ぶりに驚いた。

別の住民は「東急電鉄が責任をもって再開発を担うことができる会社か」と問題提起した。東急電鉄の財務基盤は脆弱である。東急電鉄の有利子負債は一兆円を超過する。普通の会社ならば、二子玉川再開発のような大規模開発はできない。文字通り補助金あっての再開発である。補助金を出す側の世田谷区も財政は厳しい。二子玉川ライズは展望なき計画である。税金の使い方を徹底的に勉強する。誰でも事実を知れば、このようなことに何故、税金を使うのかと思う筈である。

第五に二子玉川ライズの人工地盤である。人工地盤は周辺住民を拒絶し、圧迫する壁として批判されている。この人工地盤に登った住民がいる。人工地盤の上から眺めると、二子玉川の街が大変なことになっていると実感できたとする。

第六に多摩川暫定堤防問題である。現在は見苦しい土のうが積み上げられた状態である。住民は個別の開発問題で異なる事情を抱えている。そこを行政や東急グループに突かれて、いいようにやられている。

第七に外環道(東京外かく環状道路)との関係である。外環道と二子玉川ライズは不整合を起こしている。東名以南が延びるとすれば第一に想定される場所は二子玉川である。喜多見ジャンクションの本線設計は二子玉川を向いている。まっすぐ進めば二子玉川ライズになる。こうなったら最早街ではない。国は余計なことをすべきではない。郷土の自然や景色を残すことが大切である。

意見書採択結果に対しては行政のポーズ作りに利用されたとの不満が上がった。東京都は準備組合や世田谷区に回答をたらい回しにしており、当事者能力のなさをさらけ出した。それにも関わらず、許認可権限があるところが矛盾する。日本の政治は腐っている。

一方で住民運動の広がりには期待の声が出た。かつて住民団体は「二子玉川東地区再開発を考える会」一つだけであったが、今は運動が広がっている。多くの住民団体が結集し、多数の住民・専門家から意見が出された。このため、東京都はまともに立ち向かったら大変なことになると考え、形式的な回答で逃げたのではないか、との分析も提示された。

これからの住民運動についても様々な意見が出された。この先どうするかが一番大事である。知りたいことは沢山あるから、フランクに話をする場所を作る。シンパシーが重要である。些々たる法律論を語るつもりはない。最終的に力になるのは住民である。政党も住民運動を値踏みしている。住民運動が盛り上がれば、行政は引く。今は行動の時であり、外に向かって発信しなければならない。

2010年6月28日月曜日

スーパーFMWリッキー防衛

下町プロレス対西口プロセスは蟹キングがフォールを決めて勝利した。途中では、ばってん多摩川の猛攻を受けていた。ばってん多摩川の決め技・アイダホ ミネソタ ミシシッピ・エルボーが炸裂した。
第七試合の前にダイナマイトパンプ代表の歌謡ショーが入る。セーラー服姿で演歌を歌う。
リッキー・フジ対鮎川レイナは緒戦でレイナが攻めるが、すぐに攻守が逆転する。リッキーは「挑戦者だろーが」と相手を挑発する。

東急リバブルの恥ずべき行為

東急リバブル東急不動産の恥ずべき行為
東急リバブル東急不動産の恥ずべき行為に皆が黙って従うと思ったら大間違いだぞ。日本にだって思慮分別を備えたリーダーがたくさんいる。信義を重んじる人たちがたくさんいる。
東急リバブル東急不動産不買運動家は消費者の権利回復に奉仕していた。それこそが輝く甲冑に身を固めた騎士である紛れもない証であった。

林田力「格差社会における『千と千尋の神隠し』の不条理」

『千と千尋の神隠し』(宮崎駿監督)はスタジオジブリのアニメ映画で、2001年7月20日に公開され、大ヒットした作品である。2009年6月5日に日本テレビ系列の金曜ロードショーでも放映された。

公開当時はキャッチコピー「「生きる力」を呼び醒ませ!」に象徴される本作品のテーマが豊かな社会で生きる力を失った子ども達への教育的メッセージとして日本社会に受け入れられた。しかし、格差が拡大し、希望が見出せない現代に本作品を見直すと不条理さが感じられてならない。

本作品はグズで甘ったれ、泣き虫な少女が「生きる力」を身につける物語と解説されることが多い。確かに千尋には身勝手な大人が子どもに押し付けたがっている「生きる力」なるものは欠けている。しかし彼女は大人以上に本物の生きる力を持っている。成長物語と捉えるのは大人の傲慢であり、彼女が元々有していた能力を見落としている。
http://www.janjanblog.com/archives/7232
冒頭の引越の車中で千尋は、ふて腐れている。これは成長する前の彼女をネガティブに描いたものと解釈できる。しかし引越は子どもにとっては、親の都合で行われるものであり、自分が育ってきて住み慣れた街、仲の良かった友達と別れなければならない辛いものである。楽しい気分になれないことは当然である。

見ず知らずの新しい町での新生活がこれまで同様である保証はなく、前向きに捉えるだけでは単なる楽天家、楽しいことしか考えられない愚かな夢想家になってしまう。引越しについて何も感じない方が感受性に問題がある。前の町での友達との想い出に浸っている点も、過去を真剣に受け止めず、同じ過ちを繰り返す日本人の悪癖を考えれば、過去を大切にしている点で肯定的に評価できる。

その千尋の優れた能力は、湯屋の世界に行こうとする両親に「行きたくない」と言っている点にある。その後も要所で「帰りたい」と発言している。そのような千尋を父親は臆病と笑い飛ばしたが、正しかったのは千尋である。千尋の危険を直感的に察知し、危険を避けようとする能力こそ、まさに生きる力である。危機管理と言うと日本社会では危機に陥ってからの対処能力に目がいく近視眼的な発想が幅を利かせているが、危機に陥らないようにするための能力の方が重要である。その方が結果的にローコストで済む。
http://www51.tok2.com/home/hayariki/
http://astore.amazon.co.jp/hayariki-22/
「行きたくない」と主張した千尋が、彼女の発言を無視した両親を助けなければならない状況は不条理である。馬鹿な親のせいで苦労しなければならない子どもは可哀想である。『もののけ姫』のアシタカも村を守るために戦った結果、呪いをかけられ村を出て行かなくなったという点で不条理である。しかしアシタカが村を守るという価値を達成するためであったのに対し、千尋には湯屋の世界が自分の住む世界とは違うことを最初から本能的に感じており、そこへ行くことに価値はない。それを成長するための試練という意味を持たせるならば、「しつけ」の名目で子どもを虐待する大人の論理に接近する。

現代の格差社会も根本は世代間の格差である。就職氷河期で新規採用が抑制された世代が非正規労働者となることを余儀なくされた。それを試練と位置付けて、「生きる力を獲得して乗り越えろ」と主張するならば不条理極まりない。一方的に不条理を押し付けておきながら、それを乗り越えられないのは当人に生きる力がないからという類の愚かしい主張はしないようにしたい。

2010年6月27日日曜日

林田力「『聖者の戦い』怪物タレイラン」

本書(佐藤賢一『聖者の戦い 小説フランス革命III』集英社、2009年3月30日発行)はフランス革命を描いた歴史小説の3作目である。著者はフランスを舞台とした歴史小説を得意とし、『小説フランス革命』シリーズは全10巻を予定している。本書ではヴェルサイユ行進などの民衆の実力行使が一段落し、その後の憲法制定国民議会の混迷を描く。

本書では新たにタレイランが主要人物として登場する。タレイランは由緒を辿ればフランス王家に匹敵するほどの大貴族の生まれである。革命当時は自身もオータン司教として特権身分の座にあった。
http://www.janjanblog.com/archives/7256
旧体制を代表する立場にあるタレイランはフランス革命では革命を支持する側に回った。その論理を本書は興味深く描いている。絶対王政下では大貴族であっても王の家臣でしかない。しかし、自身が制定に参加した人権宣言で人間は平等とすることで、誰もが一番になれる時代が到来したとタレイランは考えた(16頁)。「究極の貴族主義は革命をこそ歓迎する」との発想にはタレイランの怪物ぶりを示している。

このタレイランは自らも聖職者でありながら、教会財産の国有化や聖職者の特権廃止などを強引に進める。それに対し、聖職者側は反発し、容易には進まない。表題の「聖者の戦い」は、この対立を示している。進退窮まったタレイランはミラボーを仲立ちとして抵抗勢力の首領・ポワジュランと話し合いの場を持つ。

革命そのものには反対ではなく、宗教としての神秘性を維持したいポワジュランと、それを理解しようとしない現実主義者のタレイランの噛み合わない議論が興味深い。ここではミラボーが間に入ることで妥協点を見出せた。しかし、相手の理念を理解しないことからの行き違いで、協調できる者が対立することも現実には起こりうる。

このタレイランはフランス革命期よりも、ナポレオン失脚後のブルボン復古王政期の外務大臣として歴史に名を残している。当時のフランスはナポレオン侵略戦争の敗戦国であった。にもかかわらず、彼はブルボン王家も被害者とすることで、フランスの損失を最小限にとどめた。

タレイランを名外相とする意識は西欧世界に共通する外交感覚であり、今日の国際社会の価値観に続いている。この外交感覚に則るならば、第二次世界大戦の侵略国・敗戦国であり、連合国(戦勝国)の価値観を受け入れた日本政府の高官(田母神俊雄・航空幕僚長)が侵略戦争を正当化する主張をしたことは、本人の信念の是非は別として、国際社会における日本の国益を大きく損なうものであったことは確かである。

後世には名外相と称えられるタレイランも本書では自尊心ばかりが肥大化した存在である。発想はユニークであるものの、他者を説得するという感覚に乏しく、ミラボーの助け船で何とか多数派工作に成功できた状況である。今後、タレイランが名外相としての片鱗を見せるのかも『小説フランス革命』シリーズの見どころの一つである。

第1巻『革命のライオン』で描かれたアンシャン・レジームの行き詰まりは閉塞感漂う現代日本のアナロジーと感じられた。同様に本書での国家の交戦権についての議論も、憲法の謳う徹底した平和主義が骨抜きにされつつある日本において参考になる内容となっている。

憲法制定国民議会とは文字通り憲法を制定するための議会である。そこでは宣戦・講和の権限を国王が持つべきか、議会が持つべきかで対立した。右派(保守派)は「防衛は急を要する」ことを理由に国王大権に属すると主張し、左派(愛国派)は「戦争をするか、しないか、それを決めるのは国民」として議会の権限であると主張した(161頁)。
http://news.livedoor.com/article/detail/4850013/
http://www.pjnews.net/news/794/20100624_12
この議論が行われた時期はフランスの友好国であるスペインとイギリスが一触即発の危機にあった。そのため、艦隊に出航待機命令を出し、イギリスを牽制した国王政府への支持に議会内も傾いていた。これに対して、左派のラメット議員は国王が議会に諮らずに派兵の準備を進めた手続き上の問題を指摘する。状況に流されず原則論から問題点を明確にする姿勢は付和雷同しがちな日本社会にとって眩しい存在である。

左派が国王の交戦権に反対する論理構成が興味深い。国王が宣戦・講和の権限を持てば、国王は自分の意思で軍隊を動員でき、その軍隊が再び国民を弾圧することに使われる可能性があるとする(163頁)。ロベスピエール議員は「戦争とは常に専制君主を守るための営みだ」と喝破する(166頁)。

平和主義は空想的と非難されることがある。しかし、有事に軍隊が国民を守ってくれるとは考えない点で真の平和主義者は現実主義者である。現実問題として近代憲法は最大の人権侵害の主体を自国政府と位置付けている。国家が戦争を行わないようにすることは理想論ではなく、権力の害悪を直視した現実論である。

日本国憲法が平和主義を憲法の3原則の一つにまで高めた理由は平和がなければ国民主権も基本的人権も画餅に帰すと考えたためである。ここに日本国憲法の斬新さがあるが、戦争と平和の問題はフランス革命の時代においても内政上の争点であり、民主主義や人権に直結する問題であると理解できた。

RE: 残念ながら 日本はパラグアイに勝てない

日本が強かったというよりも、南アフリカという環境で、ヨーロッパ勢が普段の実力を発揮できなかったというところが正解と思います。それ故にパラグアイには通用しないでしょう。
林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)
http://hayariki.weebly.com/
http://www51.tok2.com/home/hayariki/
市民メディアHAYARIKI
http://hayariki-d2.r-cms.jp/

東陽一丁目町会が町会会館建設へ=東京・江東(下)

林田力「東陽一丁目町会が町会会館建設へ=東京・江東(下) 」
【PJニュース 2010年6月26日】(上)からのつづき。また、新会則では制度上のチェック機能も充実させた。新会則では監事を新設し、旧会則の役職・会計監査を廃止した。旧会計監査の職務は会計の監査に限定されていたが、監事には事業の監査を含まれる。一方、監事は役員会の構成機関にはならず、執行機関と分離させた。

法人化の目的は倉庫用地を所有し、町会名義で登記することである。任意団体では不動産登記ができないという制度的な制約を回避するための法人化であるが、法人格が認められるためには民主的な運営がされている必要があり、会則の変更となった。
http://news.livedoor.com/article/detail/4850013/
http://www.pjnews.net/news/794/20100624_12
総会では住民から様々な質問や意見が出された。その中で町会費を支払っているのに会員として名簿に登録されていない住民が数百名も存在することが判明した。マンション住民で管理会社が町会費を管理費に含めて徴収しているが、住民の名簿登録をしていないケースである。

記者も東陽一丁目にある東急不動産(販売代理:東急リバブル)の新築マンションに居住していたが、同じ状況であった。マンション建設時に東急不動産の子会社の管理会社・東急コミュニティーと町会の間でマンション住民から町会役員を出すという約束になっていた。しかし、東急コミュニティーは町会との約束を反故にしてマンション住民に伝えなかった。そのため、マンション住民は町会費を払うだけで町会活動には参加できなかった。

たまたま記者が町会役員と話をしたことで真相が発覚した。東急コミュニティーだけでなく、東急不動産も購入者にも不利益事実(隣地建て替え)を隠して新築マンションをだまし売りしており、記者は消費者契約法に基づき売買契約を取り消して転居した(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。
http://www.janjanblog.com/archives/7232
法人化した町会では2010年1月に町会会館建設用地(約125平米)を購入し、1月20日に登記を完了した。3月に15名構成の町会会館建設委員会を立ち上げ、会合を重ねている。現時点で判明している計画では会館は鉄骨造2階建てで、1階を倉庫、2階を事務所・多目的ルームとする。延べ床面積は約110平米である。建設費用には融資や神輿修理積立金の転用の加え、会員からの寄付も求める予定である。【了】

2010年6月26日土曜日

林田力「『バスティーユの陥落』、口火を切る勇気」

本書(佐藤賢一『バスティーユの陥落 小説フランス革命II』集英社、2008年11月30日発行)はフランス革命を描いた歴史小説の2作目である。本書ではバスティーユ襲撃からヴェルサイユ行進までを扱う。前巻のミラボーやロベスピエールに加え、本書ではパリ市民に蜂起を促したデムーランがフィーチャーされる。
http://www.janjanblog.com/archives/7167
著者の佐藤賢一氏は濃厚な性的表現が多いことで知られるが、これまでのところ「小説フランス革命」シリーズでは抑え気味である。しかし、ミラボーがデムーランを扇動するシーンなどで卑猥な表現が使われている(48頁)。性愛シーンでないにもかかわらず、性的な表現が盛り込まれているところに著者らしさが感じられる。著者の描く人間像は、人間が性の衝動(リビドー)に支配されていると主張するジークムント・フロイトの人間像を想起させる。

パリ市民の政治への不満は爆発寸前であったが、知識人は批判するだけで、自分からは行動しない臆病者ばかりであった。しかし、ミラボーに焚き付けられたデムーランは「武器をとれ」と扇動する。この演説が契機となって、パリ市民は武装闘争に突入する。

私は新築マンションで大手不動産会社と裁判闘争をした経験がある(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。裁判を続ける中で同種の被害に遭った被害者にも数多く出会った。その中には行動を起こす意思はなく、愚痴を聞いてくれる仲間が欲しいだけとしか考えられない人もいた。真剣に相談に乗った自分が馬鹿らしく感じられるほどであった。それ故に行動しない知識人に対するミラボーの失望には共感する。革命への口火を切ったデムーランの意義も高く評価する。

前半のバスティーユ襲撃は変革を求める男達の熱い情熱で突っ走る。デムーランの感情の揺れや興奮の高ぶりは滑らかな筆致で書かれ、読者の胸も高揚させる。ところが、封建的特権の廃止宣言や人権宣言では様相が異なる。理想の実現にまい進するロベスピエールと覚めた目で見守るミラボーを対比させているためである。ミラボーの冷ややかな姿勢のために、人類の金字塔とも言うべき人権宣言にも高揚する気持ち一辺倒で読み進めることはできなかった。
http://news.livedoor.com/article/detail/4848125/
http://www.pjnews.net/news/794/20100624_11
ミラボーは議会の独断専行の危険性を以下のように指摘する。「自らの保身に有利な法律ばかりを通過させて、実質的な特権を築き上げて、あれだけ貴族を責めながら、自らが新たな貴族と化すだけだ」(212頁)。これは世襲議員ばかりになった現代日本への痛烈な批判にもなる。

ヴェルサイユ行進では男性達(ミラボー、ロベスピエール、デムーラン)は傍観者に成り下がった。女性を中心としたパリ市民がヴェルサイユ宮殿まで行進し、フランス国王ルイ16世をパリに連行した事件である。この事件を本書では支離滅裂な女性達の行動の結果として描いている。混迷を深めるフランス革命の行方が気になる終わり方であった。

林田力「『ザ・コーヴ』『靖国』と『プライド』抗議の相違」

林田力「『ザ・コーヴ』『靖国』と『プライド』抗議の相違」
【PJニュース 2010年6月24日】映画『ザ・コーヴ』が右翼団体などの攻撃により、上映中止を余儀なくされている。この経緯は映画『靖国 YASUKUNI』と共通する(林田力「『ザ・コーヴ』『靖国』上映妨害は表現の自由の侵害(上) 」PJニュース2010年6月21日)。

同じく上映が抗議されながら、似て非なる動きに映画『プライド 運命の瞬間(とき)』(伊藤俊也監督、1998年)がある。上映妨害問題の本質を理解する上で両者の区別は重要である。そこから『ザ・コーヴ』や『靖国』上映騒動の問題性が明らかになる。
http://news.livedoor.com/article/detail/4846200/
http://www.pjnews.net/news/794/20100623_10
『プライド』はA級戦犯として絞首刑に処せられた東条英機元首相を主役とした作品である。この映画は日本による侵略戦争をアジア解放の戦争のように印象づけ、歴史を歪曲・偽造していると強く批判された。製作した東映の労働組合や文化人らによって結成された「映画『プライド』を批判する会」は東映に対し、映画公開の中止を申し入れた。

「映画『プライド』を批判する会」の発展的解消により結成された「映画の自由と真実を守る全国ネットワーク」(映画の自由と真実ネット)は映画『ムルデカ17805』(藤由紀夫監督、2001年)にも抗議した。これはインドネシア独立の戦いを描いた作品であるが、日本がインドネシア独立をもたらしたとして、侵略戦争の歴史的事実を歪曲し、美化するものと批判した。

これらの映画の上映に抗議した人々が、『靖国』では上映妨害の動きを批判した。これに『ザ・コーヴ』の上映妨害を批判する層も連なる。これをダブルスタンダード(二重基準)と批判する見解がある。

結論から言えば『プライド』の上映中止を求めた人が、『靖国』や『ザ・コーヴ』の上映中止の動きに抗議することは一貫性のある行動である。『プライド』批判は、労組や市民団体が中心であった。言論の自由の範囲内の抗議活動である。これに対し、『靖国』では右翼団体による映画館への威嚇や稲田朋美・衆議院議員らによる政治的圧力が問題視された。このような動きに対して表現の自由を守るために抗議した。

実際、映画演劇労働組合連合会(映演労連)の2008年4月1日の声明では以下のように主張する。「公開が決まっていた映画が、政治圧力や上映妨害によって圧殺されるという事態は、日本映画と日本映画界に、将来にわたって深刻なダメージを与えるものである」

あくまで抗議は、政治圧力や上映妨害という手法に対してである。ここでは『靖国』や『ザ・コーヴ』の批判者の批判理由は問題にされていない。『靖国』や『ザ・コーヴ』を「反日的である」「制作過程に問題がある」と批判することは自由である。問題は上映妨害や政治圧力が行われたことである。

そして映画における表現の自由を守るための戦いは『靖国』が最初ではなかった。南京大虐殺を描いた映画『南京1937』においても右翼団体による上映妨害が繰り返されていた。1998年6月には横浜市の映画館で上映中に右翼団体構成員によってスクリーンが切り裂かれた。1999年10月には千葉県柏市が右翼団体の抗議活動を理由に上映会場である市民文化会館の使用許可を取り消した。

『靖国』上映中止の動きに抗議した人々の多くは『南京1937』の上映妨害に対しても強く抗議していた。『靖国』上映支持派の抗議活動が手際よく行われたことを疑問視する向きもある。しかし、上映妨害は今回が初めてではなく、過去の活動の蓄積があるため、手際が良いことは当然である。
http://www.janjanblog.com/archives/6970
歴史歪曲映画に対する抗議と表現の自由の侵害に対する抗議が一貫性あるものとして認識されていることは「映画の自由と真実ネット」の発足アピール文から明白になる。

「1年前に公開された映画『プライド〜運命の瞬間〜』は、戦後半世紀を経てはじめてと言っていいほど、歴史の真実に背を向けたものでしたが、その公開と併行して「歴史の真実」に迫る中国映画『南京1937』の上映は、右翼による激しい暴力的な妨害に直面しました。その右翼の街宣車に『プライド』のポスターが貼られていたことが示すように、「歴史の真実」を踏みにじる力と「映画の自由」を押しつぶそうとするものとは、完全に表裏一体を成しています」

公正とは「等しきものには等しく、等しからざるものには等しからざるものを」ということである。『プライド』に対する抗議と『靖国』や『ザ・コーヴ』に対する抗議は本質的に異なる。表面的な現象の類似性に惑わされず、等しからざるものには異なる評価を下すことが公正な判断である。【了】

林田力「日本社会の非歴史性が問題だ」

【PJニュース 2010年6月26日】日本社会が様々な問題を抱えていることは誰の目にも明らかである。その元凶は日本社会の非歴史性にあると考える。これは一言でまとめれば「過ぎたことにこだわらないことを是とする」体質である。焼け野原から経済大国にしてしまう前に進むことしかできない性質であり、それを美徳と勘違いするような発想である。

これは「日本社会が忘れっぽい」「日本人は記憶力がない」ということでは必ずしもない。「過去のことを忘れてしまう」「ある時点では激しい怒りを抱いたとしても、時の経過によって、それほどの怒りを感じなくなる」という現象は多かれ少なかれ民族を問わず人類に普遍的な性質である。過去の事件を時の経過により風化させてしまう傾向も、どこの国の社会にも見られる。

問題は上記の傾向に対し、どのようなスタンスをとるか、という点である。それを是として、焼け野原から経済大国にしてしまうような前に進むことしかしないのか。それとも、過去の真相を明らかにし、暗い過ちを記憶にとどめようと努めるのか。日本社会の問題は前者であることである。
http://news.livedoor.com/article/detail/4850015/
http://www.pjnews.net/news/794/20100625_11
日本社会の非歴史性を主張するためには、一義的には日本社会の特徴から非歴史的性質を示せば十分である。外国を持ち出して比較する必要はない。一般に比較の多用は、むしろ自説の論拠が弱い時に行われる傾向がある。また、何でも外国と比較しなければ気がすまない点も日本人の自信のなさの表れになる。

それでも外国と比較されたい方のために例示すればサッコ・バンゼッティ事件がある。アメリカ合衆国マサチューセッツ州ではサッコ・バンゼッティ事件の死刑執行から半世紀後に偏見と敵意に基づいた冤罪であると公表し、名誉回復させた。処刑日の8月23日を「サッコとバンゼッティの日」とし、事件を風化させないようにしている。日本でも冤罪事件は数多くあるが、当局が積極的に記憶にとどめようとすることはない。
http://www.janjanblog.com/archives/6681
また、日本とは異なり、過去の過ちを繰り返さないための試みとして、南アフリカの真実和解委員会(Truth and Reconciliation Commission)がある。アパルトヘイト(人種隔離政策)によって組織的に引き起こされた大量の被害について、真実を究明し、記録するために設けられた委員会である。同種の機能は韓国やペルー、東チモールにも見られる。

これは日本社会の問題解決の方法と対照的である。秘密裏に行われてきた犯罪の被害者を特定し、自己の巻き込まれた犯罪についての真実を明らかにし、被害者の人間的・市民的な尊厳を回復する真実和解委員会の試みは高く評価されるべきものである。

勿論、真実和解委員会の方式にも批判がある。最大の問題は加害者を恩赦してしまう点である。真実和解委員会の調査対象は、人道に対する罪と重なり、不処罰を許さないとする原則に反すると強く批判される。この点は真実和解委員会の限界である。
しかし、過去を明らかにせず、焼け野原から経済大国にしてしまうような前に進むことしかできない日本社会との対比において、欠点となるものではない。焼け野原から経済大国にしてしまうような前に進むことしかできない発想では、目の前にある問題をとにかく切り抜ければいいだけとなってしまう。人間は過去から学ぶ生き物である。それは歴史学者だけの仕事ではない。【了】

2010年6月25日金曜日

『ザ・コーヴ』『靖国』上映妨害は表現の自由の侵害(下)

【PJニュース 2010年6月23日】第3に政治の動きである。和歌山県太地町は『ザ・コーヴ』が住民の肖像権を侵害し、虚偽の事項を事実のように示しているとして、配給元に上映中止を求めた。

『靖国』でも上映中止の背景には稲田朋美・衆議院議員らによる様々な政治的圧力があったと主張された。上述の出演者・刈谷氏が出演部分の削除を求めたとされる件も、有村治子参議院議員が刈谷氏に電話で削除依頼をするように促したと映画製作側からは主張された。
http://news.livedoor.com/article/detail/4843053/
http://www.pjnews.net/news/794/20100620_7
これら公権力が映画に批判的な態度をとっているという事実は上映の問題が表現の自由の問題であることを示している。公務員による発言は私人の言論活動と同視できない。表現の自由の重要性は以下の理由がある。

(1)表現の自由には傷つきやすく、一度侵害されたならば回復されにくいという脆弱性がある。

(2)表現の自由は優越的地位が認められている。この優越的地位とは憲法が保障する諸々の人権(財産権など)と比較してのものである。真の意味で国民主権を実現するためには自由な議論が不可欠であり、表現の自由は民主主義社会の基盤となるものだからである。

以上より、公権力は国民の表現の自由を最大限尊重しなければならない。その行使にあたっては、表現の自由を損なわないよう、慎重さが求められる。

この点で、『靖国』における稲田議員らの行動は問題であった。稲田議員らは『靖国』公開前に試写を要求し、日本国憲法の禁止する検閲に該当すると批判された。日本国憲法第21条第1項は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定める。第2項は「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」と定める。国会議員が権力(国政調査権)を行使して表現の自由を侵害するならば、紛れもなく憲法違反になる。

国会議員が試写を要求すること、出演者またはその妻に出演の意図について直接電話をかけて確認すること自体が通常では行われない尋常ではないことである。大日本帝国のシンボルである靖国神社を批判したのだから、権力者から釈明が求められるのは当然という前提に立つならば、その発想自体が表現の自由を侵害する。

後になって稲田議員らは助成金の使途確認を目的としたもので、上映中止を目的としてはいないと釈明した。この事後的な見え透いた言い訳は、表現の自由の侵害を論じる上で無意味である。もし真に上映中止を狙ったものでないならば、検閲と批判されるような真似はすべきではなかった。

検閲に該当するようなことをしなくても、調査の目的は達成できるにもかかわらず、あえて検閲と批判されるような主張を採ったならば表現の自由の侵害になる。試写会を開く目的は映画館に圧力をかけるのが目的であったとみなされても否定できない。国政調査権の行使ならば表現の自由を侵害が許されるわけではない。ことさら『靖国』を狙い撃ちにするような調査ならば、表現の自由を侵害する意図があったとの批判は免れない。

表現の自由を侵害された側が侵害された側に悪意がなかったと御目出度い解釈することは正義・公平に反する。「選良である我々が観て反日的でないという御墨付きを与えた後で、国民向けに上映することを許してやる」という不遜な態度が見え隠れすると悪意に解釈されても仕方がない。「私たちの勉強会は公的な助成金が妥当かどうかの1点に絞って問題にしてきたので上映中止は残念」などと他人事のような論評が反発を受けたことも自然である。

『靖国』製作側が稲田議員らの意図を変に物分りよく議員に媚びた解釈をせずに、表現の自由の侵害と抗議の声をあげたことは賢明な姿勢であった。『靖国』製作側が過剰反応し過ぎとの批判もあるが、問題は表現の自由が損なわれるような圧力がかけられたことである。影響力が相対的に小さい一期・二期の国会議員であろうと国政調査権という公権力を振りかざして表現の自由を侵害しようとすることは許されない。

圧力をかけられた側が、大した圧力でないからという理由だけで大騒ぎしてはならないということにはならない。影響力は相対的に小さかったとしても、不当な圧力に対して、耐え忍ぶことが美徳ではない。対立者の小さな過ちを見過ごし、笑って済ませてしまうことは度量の大きさではなく、間抜けさを示すものである。特に加害者でありながら被害者に向かって無反省にも「済んだことをいつまでもガタガタいうな」と言ってのける傾向がある日本人に対しては、過去の過ちを前提とすることは大切である。

過去を水に流して焼け野原から経済大国にしてしまう類の前に進むことしかできない連中のように打たれ強くなることは美点ではなく、愚かしい欠点である。『靖国』騒動で製作側が前に進むことしかできない発想で、生産的な方向にエネルギーを注力するような真似をしなかったことは高く評価できる。『靖国』製作側が対立者からは過剰と批判されるくらいの敏感な反応をしたことは感受性の鋭さを示しており、この上なく正しい選択であった。そこには『ザ・コーヴ』も学べる教訓がある。【了】

林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)
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シティハウス府中けやき通り反対

シティハウス府中けやき通り反対
住友不動産の新築分譲マンションの建設反対運動です。東急電鉄・東急不動産の二子玉川ライズにも反対運動は起きています。

2010年6月24日木曜日

『ザ・コーヴ』『靖国』上映妨害は表現の自由の侵害(中)

PJニュース 2010年6月22日】(上)からのつづき。第2に制作過程への非難がある。『ザ・コーヴ』は隠し撮りという手法が攻撃された。『靖国』も、出演者の刀匠・刈谷直治氏が真意を説明されずに撮影されたとして、出演部分の削除を求めているとの報道がなされた。この制作過程への非難は、表現の自由という論点をそらすものでしかない。表現の自由との関係で『ザ・コーヴ』や『靖国』を論じる上で、制作過程の問題に触れる必要はない。

問題は映画館が上映を中止したことである。直接の中止理由は上映に抗議する右翼団体などの威嚇的・暴力的妨害を恐れたことである。圧力によって上映が中止された事態を表現の自由の危機と受け止め、抗議の声を上げた。
http://news.livedoor.com/article/detail/4841459/
http://www.pjnews.net/news/794/20100620_6
問題は圧力がかけられたことであって、圧力をかける動機となった理由ではない。圧力の理由はいろいろ考えられる。日本の問題点を直視する映画が許せなかったからかもしれない。『靖国』ならば十五年戦争における日本の侵略性を明らかにすることを恐れたことかもしれない。映画の内容以前に日本、中国、韓国の合作映画で真のアジア友好を目指すというコンセプトが気に入らなかったのかもしれない。それらの理由で抗議したのでは表現の自由の侵害との批判に立ち向かえないから、表向きは制作過程の問題を声高に叫ぶ方針に変更したのかもしれない。

真の理由が何であれ、表現の自由との関係で問題は理由ではない。日本は法治国家であり、自力救済は禁止されている。仮に映画を否定することに正当な理由があったとしても、圧力をかけて上映を中止させることは認められない。当該映画の制作過程に問題があったとしても、それ故に圧力をかけて上映中止に追い込むことは正当化されない。

上映支持派にとっては、映画の制作過程の問題は論点とは無関係な問題である。恣意的な圧力により上映が中止になる事態を問題視しており、圧力の動機に理由があろうとなかろうと問題ではない。自説を正当化するために、当該映画の制作過程に問題がないことを主張する必要さえない。

もし映画批判者が「反日」的表現を抑圧するという、表現の自由を損なうことが目的ではなく、純粋に制作過程の問題について問題提起したいならば表現の自由を損なう手段を採るべきではない。当該映画の制作過程に問題があったと指摘し、当該映画が映画制作のルールを逸脱しており、上映に値する作品ではないと主張することは自由である。それも一つの映画批判になる。

しかし、それは上映を妨害しようとした右翼団体の抗議活動を正当化することにはならない。上映中止を表現の自由の危機と捉えて立ち上がった上映支持派に対する批判にもならない。その点が混同されている限り、『ザ・コーヴ』や『靖国』は表現の自由の問題であり続ける。【つづく】

林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)
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トヨタ自動車広州工場でスト

トヨタ自動車広州工場でスト
トヨタ自動車の広州工場でストがあり、操業を停止した。日本ではプリウス工場で作業員の硫化水素自殺とみられる事件が起きている。

2010年6月23日水曜日

RE: 民間開発課からの回答

今晩は。林田です。
意見書採択結果通知に関して、
以下記事が掲載されましたので、連絡いたします。

二子玉川第二地区再開発への意見書採択結果通知
http://news.livedoor.com/article/detail/4843071/
http://www.pjnews.net/news/794/20100622_8

林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)
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マツダ自動車工場で惨劇

マツダ自動車工場で惨劇
大量リコール問題で批判されたトヨタ自動車は、プリウス工場で作業員が硫化水素自殺したとみられる事件が起きた。自動車メーカーの労働環境の歪みを印象付ける。

林田力「『20世紀少年 <最終章> ぼくらの旗』ともだちの悲しみ」

映画「20世紀少年 <最終章> ぼくらの旗」(堤幸彦監督)は2009年8月29日に公開された作品である。浦沢直樹の科学冒険漫画『20世紀少年』『21世紀少年』を実写映画化した3部作の完結編である。原作とは異なる結末が話題になった。

新興宗教の教祖で、自作自演の予言でテロを達成し、世界支配を目論む「ともだち」の不気味さが本作品の魅力である。主人公・ケンジ(唐沢寿明)らの少年時代に「ともだち」の謎を解く鍵がある。この大きな流れは原作と映画で共通するが、映画では「ともだち」の心情を丁寧に掘り下げていた。
http://www.janjanblog.com/archives/6623
「ともだち」は無差別テロを行い、何十億という人々を殺害した。ケンジへの恨みだけでは無差別テロの動機としては不十分である。人類全体への敵意を抱く背景となった「ともだち」の孤独や悲しみ、トラウマが映画では浮き彫りにされた。人類の大半が滅亡した世界の支配者になっても面白くないように思えるが、「ともだち」の心理状況では納得できる。

また、映画ではケンジやオッチョ(豊川悦司)、カンナ(平愛梨)ら特定人の超人的な活躍で全てを解決するのではなく、彼らをきっかけとしつつも大勢の人々の行動が大きな力を持つことを描いている。

作品世界の一般の人々の多くも内心では「ともだち」支配のおかしさを認識している。ユキジ(常盤貴子)が地球防衛軍を説得するシーンが印象的である。地球防衛軍のバイザーを上げて素顔を晒させることで、組織の犬から良心ある個人への転換を象徴する。『20世紀少年』にはカルト的な宗教団体が社会を支配する点で現実社会に警鐘を鳴らす社会派的側面があるが、一般の人々の良心に基づく行動によって社会を変えられるとのメッセージがある。
http://sky.geocities.jp/hayariki4/h/
映画オリジナルのラストの10分は試写会でも放映しないことで注目を集めた。このラスト10分が大作の最終章を見事に締めている。過去を水に流す日本人は自らの美しくない過去を直視することを避ける傾向がある。その結果、フィクションでも悪を倒して大団円とし、終わりよければ全てよしとなってしまう作品が多い。その意味で作品の質を高めたラスト10分であった。

2010年6月22日火曜日

『ザ・コーヴ』『靖国』上映妨害は表現の自由の侵害(中)

【PJニュース 2010年6月22日】(上)からのつづき。第2に制作過程への非難がある。『ザ・コーヴ』は隠し撮りという手法が攻撃された。『靖国』も、出演者の刀匠・刈谷直治氏が真意を説明されずに撮影されたとして、出演部分の削除を求めているとの報道がなされた。この制作過程への非難は、表現の自由という論点をそらすものでしかない。表現の自由との関係で『ザ・コーヴ』や『靖国』を論じる上で、制作過程の問題に触れる必要はない。

問題は映画館が上映を中止したことである。直接の中止理由は上映に抗議する右翼団体などの威嚇的・暴力的妨害を恐れたことである。圧力によって上映が中止された事態を表現の自由の危機と受け止め、抗議の声を上げた。
http://news.livedoor.com/article/detail/4841459/
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問題は圧力がかけられたことであって、圧力をかける動機となった理由ではない。圧力の理由はいろいろ考えられる。日本の問題点を直視する映画が許せなかったからかもしれない。『靖国』ならば十五年戦争における日本の侵略性を明らかにすることを恐れたことかもしれない。映画の内容以前に日本、中国、韓国の合作映画で真のアジア友好を目指すというコンセプトが気に入らなかったのかもしれない。それらの理由で抗議したのでは表現の自由の侵害との批判に立ち向かえないから、表向きは制作過程の問題を声高に叫ぶ方針に変更したのかもしれない。

真の理由が何であれ、表現の自由との関係で問題は理由ではない。日本は法治国家であり、自力救済は禁止されている。仮に映画を否定することに正当な理由があったとしても、圧力をかけて上映を中止させることは認められない。当該映画の制作過程に問題があったとしても、それ故に圧力をかけて上映中止に追い込むことは正当化されない。

上映支持派にとっては、映画の制作過程の問題は論点とは無関係な問題である。恣意的な圧力により上映が中止になる事態を問題視しており、圧力の動機に理由があろうとなかろうと問題ではない。自説を正当化するために、当該映画の制作過程に問題がないことを主張する必要さえない。

もし映画批判者が「反日」的表現を抑圧するという、表現の自由を損なうことが目的ではなく、純粋に制作過程の問題について問題提起したいならば表現の自由を損なう手段を採るべきではない。当該映画の制作過程に問題があったと指摘し、当該映画が映画制作のルールを逸脱しており、上映に値する作品ではないと主張することは自由である。それも一つの映画批判になる。

しかし、それは上映を妨害しようとした右翼団体の抗議活動を正当化することにはならない。上映中止を表現の自由の危機と捉えて立ち上がった上映支持派に対する批判にもならない。その点が混同されている限り、『ザ・コーヴ』や『靖国』は表現の自由の問題であり続ける。【つづく】

林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)
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鋼の錬金術師最終回

鋼の錬金術師最終回
ガンガンで連載中の人気マンガ・鋼の錬金術師が最終回を迎えた。最終回掲載号は売れきれ、9月号に採録されるほどの話題になった。

林田力「『20世紀少年<第2章>』全体主義の怖さ」

映画『20世紀少年<第2章>最後の希望』(堤幸彦監督)は2009年1月31日に公開された作品である。本作品は浦沢直樹のSFサスペンス漫画『20世紀少年』『21世紀少年』を原作とする実写映画である。映画は3部作になっており、本作品は第2章になる。

第2章はケンジ(唐沢寿明)の姪のカンナ(平愛梨)が主人公的存在である。時は西暦2015年で、第1章では幼児だったカンナも高校生に成長した。2015年の日本は救世主とされた「ともだち」が支配する社会になっている。2000年の「血の大みそか」はケンジ一派のテロと濡れ衣を着せられた状態である。行方不明のケンジに代わり、カンナやヨシツネ(香川照之)、オッチョ(豊川悦司)は「ともだち」の正体に迫る。

第2章も第1章に引き続き、原作の雰囲気に忠実である。ストーリーも原作をなぞっていたが、長編漫画を映画にまとめる関係上、省略されたエピソードも多い。そのため、次第に日常が非日常に侵食されていくという原作の不気味さは弱まっているが、一気に見せる映画の性質上止むを得ない。一方、「ともだち」の正体は原作とは異なり、第2章の最後になっても分からずじまいで、第3章のお楽しみとなっている。この点は原作と異なる内容になる可能性があり、第3作も観なければならないという気にさせられる。

オーディションで大抜擢されたカンナ役の平愛梨をはじめとしてキャストの好演が光った本作品であるが、不気味さを怪演していたのは高須光代(小池栄子)及び彼女の率いる「ともだちランド」スタッフである。高須らは「ともだち」教団の裏仕事を担当するが、悪事をしているという後ろめたさを全く感じさせないハイテンションさが不気味である。
http://www.janjanblog.com/archives/6608
第1章でケンジの経営するコンビニを襲撃した集団は、いかにも洗脳されている狂信者という印象であった。これに対し、高須らは非常に軽い。命令に対して「サンキュー」や「喜んで」と答える。まるでサービス業の接客マニュアルのような応対振りである。それがかえって怖さを感じさせる。

「ともだち」の組織はカルト的な宗教団体である。それが自作自演のテロ事件を起こし、日本を支配することになる。現実にもオウム真理教による地下鉄サリン事件などが起きており、決して荒唐無稽な話ではない。それでもカルト組織は通常の市民生活を送る人々にとっては縁遠い別世界の話である。

ところが、高須らの集団は日本社会に普通に存在するサービス業従事者のような行動規範である。ここには企業組織が容易に全体主義の歯車に転嫁してしまう怖さがある。実際、多くの企業不祥事は企業内部の常識が世間の常識とずれていたために起きている。企業の内部にいると、社会的には悪いことをしているという感覚が磨耗してしまう。

記者も東急不動産(販売代理:東急リバブル)から不利益事実(隣地建て替えなど)を説明されずにマンションを購入して裁判で売買代金を取り戻した経験がある(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。その時の東急不動産の課長(当時)の論理は「隣地建て替えを説明しても、もし建て替えられなかったならば問題になる」という消費者の利益を無視した身勝手なものであった。消費者の立場を理解しようとしない東急不動産従業員には宇宙人と話しているような不気味さがあった。同じ不気味さが高須らの集団からも感じられた。

カルトという特別な集団だから問題なのではない。普通の企業であっても、間違った方針の下、構成員が思考を停止し、歯車になってしまえばカルトと同じような暴走をする。異常なカルト教団が社会に浸透する恐怖を描いた第1章に対し、第2章ではカルトに限らない全体主義の怖さがある。そして一見するとソフトな全体主義こそ、現代日本において第一に警戒しなければならないものである。その意味で第2章は前作にも増して社会性が深まった作品である。
http://news.livedoor.com/article/detail/4834134/
http://www.pjnews.net/news/794/20100617_7
林田力「『L change the WorLd』人間Lに注目」JanJanBlog 2010年6月18日
http://www.janjanblog.com/archives/6285

2010年6月21日月曜日

『ザ・コーヴ』『靖国』上映妨害は表現の自由の侵害(上)

【PJニュース 2010年6月21日】和歌山県太地町のイルカ漁を告発した米国のドキュメンタリー映画『ザ・コーヴ』(ルイ・シホヨス監督)の上映中止が相次いでいる。『ザ・コーヴ』は第82回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞など多くの賞を受賞した話題作である。世界中で上映され、大きな反響を呼んでいる。

ところが日本では上映に対して脅迫的な抗議を受けている。これに対し、暴力で上映を中止することは、言論・表現の自由を侵害するとの抗議の声も出されている。この問題は同じく上映の是非が論議された作品『靖国 YASUKUNI』と比較することで本質が浮き彫りになる。
http://news.livedoor.com/article/detail/4839854/
http://www.pjnews.net/news/794/20100620_5
『靖国 YASUKUNI』(李纓監督)は靖国神社を描いた日中合作のドキュメンタリー映画で、香港国際映画祭にて最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した。『靖国』も一部団体から「反日的」と糾弾され、上映が妨害された点で『ザ・コーヴ』と共通する。『ザ・コーヴ』と『靖国』への攻撃には共通する特徴がある。本記事では3点指摘する。

第1に右翼団体などにより、映画が「反日的」と糾弾され、「抗議活動」名目での脅迫的妨害が行われた。『靖国』では上映予定の都内の映画館に街宣をかけた右翼団体構成員が逮捕された(「映画「靖国」街宣の右翼団体構成員ら逮捕」産経新聞2008年5月2日)。『ザ・コーヴ』では主権回復を目指す会などが日本配給元であるアンプラグドの加藤武史社長宅に押しかけ、警察が出動する騒ぎになった。

映画の内容が妥当であるか、作品の質が高いかということと、上映の是非は別の問題である。評価が割れ、多くの人が反発する映画でも、それを上映する自由は保障される。それが表現の自由である。特定集団の脅迫的な抗議によって、映画が上映できなくなる状態は表現の自由が脅かされている。これは民主主義の根幹を脅かす国民全てに関わる重大な問題である。

『靖国』は最終的には多くの映画館で上映された。しかし、それを根拠に表現の自由の問題を過小評価することは不当である。結果的に映画が公開された要因は製作側と表現の自由の侵害に対して抗議した人々の努力である。表現の自由の侵害者と非難された側が表現の自由を尊重したからではない。

上映支持派の抗議によって、目立った上映妨害が起きていないならば、それは表現の自由にとって歓迎すべきことであり、表現の自由を擁護するための活動に意義があったことになる。表現の自由を擁護する戦いの勝利であり、抗議の正しさを示すものである。映画の盛況は、表現の自由を侵害してまでアジア人民に未曾有の惨禍をもたらした日本の戦争責任を否定しようとする悪意ある試みが挫折したことを意味する。『靖国』上映騒動が表現の自由の問題であることは変わらない。

『ザ・コーヴ』と『靖国』で多少異なる点は作品そのものへの支持である。『靖国』では作品を肯定的に評価する側と否定する側で激しい対立があった。各々のバックグランドが、肯定派が戦前の日本のあり方を否定的に捉える立場、否定派が戦前との連続性を肯定する立場に大別されることも興味深い。外国人監督作品ながら、日本社会の対立軸に見事にフィットしており、それだけでも『靖国』の秀逸さを示している。
これに対して、日本社会では『ザ・コーヴ』の作品内容やメッセージを積極的に評価する声は強くない。上映中止に抗議する立場も、イルカ漁には賛成という立場も少なくない。この点で『ザ・コーヴ』上映支持の主張は『靖国』以上に表現の自由の問題が純化されたものになる。【つづく】

林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)
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市民メディアHAYARIKI
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アンチ東急不動産だまし売り裁判への忠告

「東急不動産だまし売り裁判原告を誹謗中傷し続けるならば、あなたが恥をかくだけですよ。これだけ東急不動産だまし売り裁判原告に興味を持って悪口を言いまくる割には、彼の著書『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』を読んでいないのかな、とね。あなたはインテリを気取っていますが、そのような人が書籍も読まずに中傷していると疑われるようでは恥ずかしいではありませんか。
『東急不動産だまし売り裁判』は東急不動産だまし売り裁判を描いたノンフィクションです。これを読めば、本物の原告が一体どのような人間であるのか手に取るように分かるように書かれています。少なくとも、これを読むに足る言語能力を持ち合わせている人間ならば、彼のことをそのように批判することはない筈です。あなたも、いい加減人格を疑われますよ」
http://news.livedoor.com/article/detail/4839604/
http://www.pjnews.net/news/794/20100618_10
『ザ・コーヴ』『靖国』上映妨害は表現の自由の侵害(上)
http://news.livedoor.com/article/detail/4839854/
http://www.pjnews.net/news/794/20100620_5
『20世紀少年<第2章>』全体主義の怖さ
http://www.janjanblog.com/archives/6608

スーパーfmw新木場6=?iso-2022-jp?B?GyRCN24bKEI=?=2 6=?iso-2022-jp?B?GyRCRnwbKEI=?=

スーパーfmw新木場6月26日
鬼神ターザン後藤を中心とするスーパーFMWがプロレス興業を開催する。場所は江東区の新木場ファーストリングである。

2010年6月20日日曜日

林田力「原作の雰囲気に忠実『20世紀少年 第1章』」

『20世紀少年 第1章 終わりの始まり』(堤幸彦監督)は浦沢直樹の科学冒険漫画を実写映画化した作品である。原作は単行本『20世紀少年』全22巻、『21世紀少年』上・下巻に渡る大部なものになっている。映画も全3部作の巨編で、その第1章が2008年8月30日に公開された。

本作品のタイトルはロックバンドT-REXの名曲「20th Century Boy」に因む。主人公ケンジ(唐沢寿明)が愛唱していた曲という設定である。この曲は本作品のテーマ曲にもなっている。私が本作品を観た映画館では上映前のBGMにも使われており、雰囲気を出していた。
http://www.janjanblog.com/archives/6357
ケンジはロックバンドを結成していた過去があり、現在でもギターでロックを奏でる。原作でも演奏シーンは多く登場するが、音はマンガでは表現できない。魂を震わせるロックの演奏は映像作品ならではの迫力がある。

漫画原作の映画となると、原作の雰囲気を壊さないかという点も気になるところである。既に絵で表現されている漫画には、小説の映画化とは異なる難しさがある。その点、本作品はキャストが原作のキャラクターに恐ろしいほど似ている。本作品は登場人物が大人になった現代と少年時代の回想が入り混じるが、それぞれの大人と子どもの役者も似ており、違和感なく楽しめる。

漫画原作の実写映画化で反響を呼んだ作品としては『DEATH NOTE』がある。この作品も実写化が難しいキャラクターである探偵Lを松山ケンイチが原作の雰囲気を壊さずに好演した。松山ケンイチの評価は高く、映画オリジナルのスピンオフ作品『L change the WorLd』が公開されるほどであった。

一方で夜神総一郎役の鹿賀丈史が原作のキャラクター以上に渋くてカッコよかったなど、『DEATH NOTE』では映画独自の世界観を形成していた。それに比べると本作品は脇役に至るまで原作キャラクターの雰囲気を出している。

本作品はストーリーも原作にほぼ忠実であるが、原作の分量を映画に合うようにまとめているため、省略された点も少なくない。コミックスでは過去の記憶が断片的に明かされ、一向に展開が進まず、じれったい思いをした記憶がある。それに比べると映画の展開は早い。特にオッチョと「ともだち」の正体に関するエピソードが削られており、映画だけでは理解できないと思われる。

映画の第1章の内容は原作の第1部に重なる。原作と大きく異なる点は、原作が現在進行形で展開したのに対し、映画はオッチョ(豊川悦司)の回想という形をとる。これは第1部の結末を探る上で大きな相違になる。

原作ではケンジ達と「ともだち」のどちらが「血のおおみそか」を制したのかは第2部に入らなければ分からない。これに対し、映画ではオッチョが回想している場所が通常とは異なる場所であるため、ある程度の予想ができてしまう。ここから第2部の主役になる遠藤カンナ(平愛梨)につながることになる。これによって第2部に期待を持たせる終わり方にしている。

『20世紀少年』はカルト教団による世界征服という壮大な物語である。細菌散布や宗教団体が政党を結成して国政を乗っ取るなど社会性のある内容でもある。しかし原作では最後はケンジの少年時代の罪に収斂していく。

人類の存亡がかかったストーリー展開でありながら、最後は主人公の精神的成長で終わらせる物語はテレビアニメの『新世紀エヴァンゲリオン』や岩明均の漫画『寄生獣』にも見られる。このような終わり方は、世界がどうなるのかという点に関心を抱いて作品を見ていた人にとっては肩透かしになる。

一方で日本人は過去を水に流す非歴史的な民族性と批判されている。自らの美しくない過去を直視することこそが現実の日本の大人達に最も欠けていることである。主人公に徹底的に内省させることを作品で実現することこそ、日本社会において作品を発表する意義がある。

回想後にオッチョはケンジを「逃げなかった真のヒーロー」と評する。ケンジの全てを知らないオッチョの体験から導き出した結論としては正しい評価である。しかし原作の結末を踏まえると、この言葉は意味深長である。映画作品が原作と同じ結末を辿るのか、オッチョの評価が伏線になるのか、第2章以降に期待したい。
http://www.janjanblog.com/archives/6417
林田力「スーパーFMWが新木場でプロレス興行」JanJanBlog 2010年6月20日
http://www.janjanblog.com/archives/6452
http://sky.geocities.jp/hayariki4/h/cul/fmw.htm
林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』
http://sky.geocities.jp/hayariki4/h/

非歴史性という問題意識

日本社会の非歴史性についてですが、過去を水に流すことを是とする体質の異常性については、前々から問題意識を有していたテーマです。私の思索において大きな割合を示すテーマです。その意味で日本社会の非歴史性という主張が個々の記事の主題を越えてまで論議を呼び、関心を集めたことは喜ばしいことと受け止めております。
私の記事の中で最も大きな割合を占めるのは、読者諸賢の御承知のとおり、東急リバブル東急不動産のマンションの騙し売りの問題です。この問題でさえ、不利益事実を隠してマンションを販売した騙し売りそのものと同じくらい、売買契約が履行され引渡し済みとなった以上、一切の責任を取りたくないという東急リバブル東急不動産の無責任な姿勢に対する激しい怒りがありました。東急不動産の物件には住んでいられないと考え、売買契約の取消しに拘ったのも、このためです。
非歴史性という言葉を使用しておりませんが、モーレツ社員について同種の問題意識から言及した書評を別媒体で書きました。合わせて御参照くだされば幸甚です。
『見える化で社員の力を引き出すタイムマネジメント』を読んで
http://www.book.janjan.jp/0806/0805318443/1.php

林田力「米国の戦略ゲームから戦争観の相違を発見」PJニュース2010年6月18日
http://news.livedoor.com/article/detail/4834134/
http://www.pjnews.net/news/794/20100617_7
林田力「『L change the WorLd』人間Lに注目」JanJanBlog 2010年6月18日
http://www.janjanblog.com/archives/6285

東急リバブル不買運動家の呼びかけ

東急リバブル不買運動家の呼びかけ
東急リバブル東急不動産不買運動家達が身をもって、東急リバブル東急不動産の経営者に向けて、今こそあなたがたも事態を変える決断を下す時だと呼びかけたことは、紛れもない事実です。しかし、東急リバブル東急不動産のリーダー達は、あまりに意気地なく、あまりに臆病で、消費者を救う決断を下すことができませんでした。悪徳不動産業者では柔軟な意見を主張して批判の対象となることを恐れるために、強硬意見が大勢を占めることが多く、だまし売り被害者に対する現実的・柔軟な方針を進言できる幹部・部署は皆無でした。
http://yaplog.jp/tokyufubai/archive/1307
林田力「原作の雰囲気に忠実『20世紀少年 第1章』」JanJanBlog 2010年6月19日
http://www.janjanblog.com/archives/6357
大量リコールのトヨタと対照的なホンダイズムを実感
http://www.janjanblog.com/archives/6417

2010年6月19日土曜日

東急不動産だまし売りの悪辣

「新築マンションをだまし売りして反省しないとは、東急不動産の営業は腐っているな」
「凄いのね、あの人達。一体、何の悪魔にとり憑かれたのかは知らないが、金儲けのためならば、消費者を犠牲にしても構わないみたいなことばかり言っているわ。本当に怖いわね」
一人が身震いすると、もう一人も相槌を打つ。
「実は、だまし売り被害者を住宅ローン破産させて、自殺に追い込もうとしていたふしがあります。マンションに被害者を攻撃する怪文書が散布され、東急不動産のために働いていた近隣対策屋が被害者の勤務先で騒いだこともありました」
「まあ、つくづく救い難い連中なのね。だけど、あれだけ人の気持ちが読み取れない連中では失敗するのも当然ね」
http://yaplog.jp/tokyufubai/archive/1296
林田力「『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』2ちゃんねるも格差社会」JanJanBlog 2010年6月17日
http://www.janjanblog.com/archives/6194
林田力「米国の戦略ゲームから戦争観の相違を発見」PJニュース2010年6月18日
http://news.livedoor.com/article/detail/4834134/
http://www.pjnews.net/news/794/20100617_7

林田力「米国の戦略ゲームから戦争観の相違を発見」

【PJニュース 2010年6月18日】コンピューターゲームは日本が世界に誇るサブカルチャーであるが、たまには海外発のゲームで、外国文化を味わうことも良い。それによって日本社会で生活していれば気がつかない発想の違いを発見することもできる。米国Sandlot Games Corporationの戦略アクション・ゲーム「Monster Mash」から日本と外国の戦争観の違いを認識させられた。

「Monster Mash」は他の様々なゲームと共にインターネット上に無数にあるゲームのダウンロードサイトからダウンロードできる。私は知人から紹介されて本作品の存在を知った。海外のサイトからゲームをダウンロードして遊ぶことは英語の勉強にもなる。ゲームは有料のものが多いが、国際ブランドのあるクレジットカードがあれば決済も可能である。
http://news.livedoor.com/article/detail/4834134/
http://www.pjnews.net/news/794/20100617_7
「Monster Mash」は牧歌的な世界にあるCurly Valleyの村人をモンスターから守るゲームである。この説明だけでは日本でも似たようなアクション・ゲームがありそうに思える。しかし、このゲームは村に侵攻するモンスターをプレーヤーが守る点が特徴にある。

日本のアクション・ゲームのように敵を倒して進んでいくゲームではない。侵略するモンスターと戦うというゲームの性質に似つかわしくないメルヘンチックな画面やBGMも本作品が日本のゲームでないことを強く印象付ける。

プレーヤーは村までの道の各所に砲台を設置する。砲台は設置されると近付くモンスターを自動的に攻撃してくれる。この砲台が全てのモンスターを攻撃すればクリアである。反対にモンスターが攻撃をすり抜けて村まで到達すれば村人が食べられてしまう。

砲台を設置するには資金が必要であり、無制限に設置できない。資金はモンスターを倒すことで獲得できる。砲台の設置場所によってモンスターを効果的に攻撃できるかが変わり、いかに効果的な場所に設置するかが勝敗の分かれ目になる。このゲームのジャンルがSandlot社のWebサイトでStrategy(戦略)に分類される所以である。

本作品の外敵から村人を守るために砲台を設置するという仕組みは海外の作品らしい。悪を倒すために攻め込むゲームが多いという日本の傾向は、そのまま日本の戦争の歴史に重なる。日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・十五年戦争と近代日本の戦争は外に攻める歴史であった。
http://www.janjanblog.com/archives/6357
また、洋の東西を問わず、海外では城壁は市街地の外に作られ、城壁は都市の一般住民を守るためのものでもあった。これに対し、日本では後北条氏の小田原城総構などを除き、城壁は領主を守るためのものでしかなかった。日本の軍隊には人民を守るという意識が歴史的に希薄である。戦前の軍隊は天皇の軍隊でしかなく、国民に「一億総玉砕」を強いるものであった。彼我の社会的背景の相違を踏まえると、「Monster Mash」のようなゲームは日本では生み出されにくい作品であると痛感する。【了】

新築マンションだまし売り業者の異常さ

新築マンションだまし売り業者の異常さ
東急リバブル東急不動産の新築マンションだまし売りが原告に何かを教えたとすれば、これまで経験したことのない事象に対する反応については誰も予測できない、ということである。
ある人々にとって悪徳不動産業者は人生の代役を務めるものであり、一つの小宇宙であった。そこには独自の神話、階級、言語が存在し、他所では注目や愛、そして影響力があるという自惚れを得られなかった人々が胸を張って生きていける隠れ家に見えた。
悪徳不動産営業の中では自由意思は問題にならなかった。悪徳不動産営業の言い訳は、自分達は無力であり、会社の命令に従うだけというものであった。この言い訳は確実に心の成長を止め、意思の力を殺し、古の知恵が英傑の輝きと呼んだものを消してしまう。
悪徳不動産業者は従業員に際限なく会議や小集団活動への参加を強要し、洗脳と改宗を迫る。自立した人間は一体感を持つように拘束されると力が増すどころか減退するという事実を無視していた。自分の運命を他人に預けることで大きくならず、小さくなるという事実を無視していた。
http://yaplog.jp/tokyufubai/archive/1300
林田力「『銀河おさわがせ執事』ドタバタSFコメディ」JanJanBlog 2010年6月16日
http://www.janjanblog.com/archives/5892
林田力「沖縄経済自立のための米軍基地反対」PJニュース2010年6月16日
http://news.livedoor.com/article/detail/4829971/
http://www.pjnews.net/news/794/20100616_1

2010年6月18日金曜日

『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』2ちゃんねるも格差社会

林田力「『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』2ちゃんねるも格差社会」JanJanBlog 2010年6月16日
http://www.janjanblog.com/archives/6194
本書(黒井勇人『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』新潮社、2008年6月27日発売)はインターネット掲示板「2ちゃんねる」のスレッドを書籍化したものである。中卒ニートの主人公「マ男」が母の死をきっかけに一念発起して就職したIT企業での過酷な体験を描いた作品である。出版社がスレッド文学と位置付けているとおり、全編「2ちゃんねる」のスレッドの書き込みを書籍化した形になっている。

「2ちゃんねる」の書籍化という点では『電車男』と同じであるが、趣は異なる。『電車男』では電車男がエルメスとのデートの場所などについて相談するために掲示板を利用した。掲示板のやり取りが、物語を形成する軸になっている。電車男とスレ住人の共同作業によって生まれた物語である。故に『電車男』ではスレッドの書き込みを、そのまま書籍化する意味があった。

これに対し、本書はスレ主であるマ男の体験談が中心である。それ以外の住民の書き込みは体験談に対する感想や突っ込みであり、ストーリー展開を左右するものではない。この点でスレッド文学の形式を採る必然性はない。むしろストーリーが実に面白く作られており、一般の小説形式でも十分に楽しめる水準である。このような作品が「2ちゃんねる」から生まれた点に、匿名掲示板の文化発信力の高まりが感じられる。

本書はタイトルや出版社の紹介文を読む限り、ブラック企業の過酷な労働環境をテーマとしたものと受け取ってしまいがちである。その種の描写が多いのは確かであるが、むしろ本題は主人公の職業人としての成長を描くことにある。

実際のところ、マ男は飲み込みが早く、かなり優秀な人物である。本書が示すように文才もある。高校中退で就業経験なしという設定が嘘臭く思えてしまうほどである。また、ブラック企業といいつつ、かなりスキルの高い同僚もいる。最底辺の職場の苦しみというよりも、ソフトウェア開発現場の実態を誇張しつつも生々しく描いたところが共感を集めたのではないか。
http://news.livedoor.com/article/detail/4829971/
http://www.pjnews.net/news/794/20100616_1
従って格差社会・ワーキングプア・過労死などの問題意識から本書を読むならば肩透かしとなる。ポテンシャルのある人物が厳しい環境に揉まれて成長したという成功物語ではワーキングプアへの応援歌にはならない。

むしろ苛酷な労働環境を生む社会的矛盾から目をそらし、本人の頑張りで克服するという教訓を導き出すならば、悪しき日本的精神論に堕していると批判の対象になる。それは本物のワーキングプアやニートを、ますます絶望に追い込むだけである。

秋葉原通り魔事件で逮捕された加藤智大容疑者は匿名掲示板で行った殺人予告に対し、反応がなかったために「無視された」と感じたという。一方で本書のような面白い内容ならばレスがつくし、反響が大きければ書籍化までされる。匿名掲示板は誰でも書き込めるが、皆が同じ匿名者として平等に扱われる訳ではない。

例えば「2ちゃんねる」では企業への告発情報が溢れかえっているが、ほとんどが見向きもされない。一方でマンションの売買代金返還訴訟を契機とした東急リバブル・東急不動産への批判は裁判の枠組みを越えて大きく広がり、ビジネス誌に炎上と紹介されるに至った(「ウェブ炎上、<発言>する消費者の脅威−「モノ言う消費者」に怯える企業」週刊ダイヤモンド2007年11月17日号39頁)。

考えてみれば当たり前であるが、書き込み内容に価値がなければ反響を呼ぶことはない。現実社会から疎外されている人が匿名掲示板だから受け入れられるとは限らない。読み手が価値ある書き込みと、つまらない書き込みを同列には受け取ることはない。それは匿名掲示板でも同じである。むしろ、書き手のブランドが通用しない匿名掲示板だからこそシビアに内容で評価される。

ともに苛酷な職場環境への不満を出発点としつつ、書籍化までされたマ男と、匿名掲示板からも疎外された加藤容疑者の落差は大きい。現実社会から疎外された人が匿名掲示板からも疎外されたということは精神的に大きなショックだったのではないか。「2ちゃんねる」もまた、格差社会の一翼を担っているという現実を実感した。

トヨタの米国工場新設を批判

トヨタの米国工場新設を労組が批判
プリウスのブレーキ欠陥など大量リコール問題が大きく批判されたトヨタ自動車であるが、米国工場新設も労組から批判されている。既にトヨタが別の工場を閉鎖したためである。組合員のいる工場を閉鎖し、新たに工場を設立する労働組合つぶしと批判する。

ナ・サンシルどうなる

ナ・サンシル どうなる
韓流ドラマのファンタスティック・カップルがクライマックスになった。猟奇的な彼女にも類似するが、周囲は振り回されるだけの気の弱い存在ではない。不幸な美女のイメージだったユギョンも太々しい性格をしている。韓国社会の強さが感じられる。

2010年6月17日木曜日

RE: 【今夜12時迄に】月探査計画に意見を!(こんなの送りました)

ご参考までに拙記事を紹介します。
林田力「宇宙開発の徹底的な事業仕分けを」PJニュース2010年5月30日
http://news.livedoor.com/article/detail/4797894/
http://www.pjnews.net/news/794/20100529_6

林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)
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林田力「『美しき日本人は死なず』感動的な人間物語」

本書(勝谷誠彦『美しき日本人は死なず』アスコム、2009年9月11日発行)は、24時間営業の小児科医やタイでHIV感染孤児施設を運営する女性など感動的な個人の物語10編を収録したノンフィクションである。雑誌「女性自身」に掲載された連載「シリーズ人間」の内容を著者が厳選して書籍化した。

本書のタイトルには「美しき日本人」とあり、表紙は旭日旗を連想させる太陽のデザインである。帯には保守派の論客・櫻井よしこ氏が顔写真入りで登場する。ここからは右寄りの印象を与える。

内容的には右に偏っている訳ではない。たとえば女優の吉永小百合氏はボランティアで原爆や沖縄戦の悲惨さを語り、「非戦非核のメッセージを発信し続けること」を使命と言う(184頁)。むしろ本書で取り上げた活動は右派・左派という政治思想を越えて共感・感動できるものばかりである。それにもかかわらず、左派から抵抗感を持たれるタイトル・装丁としたことが商業的に成功であるかは興味あるところである。
http://www.janjanblog.com/archives/5772
あえてタイトルを『美しき日本人は死なず』とした理由として、著者は「日本人ならでは」の物語と感じたためとする(5頁)。そこには義や志、利他の精神がある。記者は民族を超えた普遍性を有するからこそ美徳になると考えるが、本書に日本人ならではの美徳があるとすれば、どのような悪条件下にあっても目の前の問題を放っておけない性質である。

もっとも、これは目の前の火を消すことだけに熱中し、火事が起きた根本原因を考えない日本人の悪癖でもある。たとえば本書では医療問題が多く取り上げられているが、現代の医療崩壊は個々人の善意と超人的な努力では解決できない構造的な欠陥を抱えている。それを個人の美徳で乗り越えたとするならば問題解決への誤ったメッセージを与えることになる。制度的な問題を個人の頑張りで乗り切ろうとする精神論は特殊日本的精神論と呼べるほど日本社会に根付いている。この意味で本書の物語は良くも悪くも日本的である。

制度の欠陥から目を背けさせる危険はあるものの、本書の物語が美談であることに変わりはない。近年の報道では人間としての最低限の倫理観も失った日本人ばかりが登場する。記者自身も利益優先の不動産会社から不利益事実を隠して新築マンションをだまし売りされる被害に遭っている(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。閉塞感漂う日本社会に絶望したくなる状況であるが、日本人も捨てたものではないと思わせる一冊である。
http://www51.tok2.com/home/hayariki/
http://astore.amazon.co.jp/hayariki-22/
林田力「二子玉川公金支出差止訴訟で住民側控訴(下) 」PJニュース2010年6月12日
http://news.livedoor.com/article/detail/4823555/
http://www.pjnews.net/news/794/20100605_9

リンガディンドン木村カエラ

リンガディンドン 木村カエラ
堀北真希の携帯電話に扮するコマーシャルが話題になっている。リンガディンドン リンダリキドン リンガディンドン

2010年6月16日水曜日

林田力「沖縄経済自立のための米軍基地反対」

【PJニュース 2010年6月16日】菅直人首相と沖縄県の仲井真弘多知事の2010年6月15日の会談は、普天間問題での本土と沖縄のギャップを改めて印象付けた。菅首相は普天間基地の名護市辺野古への移設を確認した日米共同声明を踏襲すると表明したが、仲井知事は日米共同声明を遺憾とし、「実現はきわめて難しい」と応じた。

現実に沖縄県では反米軍基地の声が広汎な盛り上がりを見せている。県内移設を新たな琉球処分とする声もあるほど反発は強い。これまで基地問題は保守と革新のイデオロギー対立の場となる傾向があったが、昨今の反基地の声は伝統的な革新勢力の枠を超えている。
http://news.livedoor.com/article/detail/4829971/
http://www.pjnews.net/news/794/20100616_1
そこには基地がなくても沖縄は経済的に成り立つ、反対に基地が経済成長の足枷になっているとの沖縄経済界の自信がある。その象徴が米軍牧港住宅地区跡地を再開発した那覇新都心である。市街地に広がる米軍基地を撤去し、跡地を開発すれば沖縄経済は大きく発展するとの期待である。

これまで基地反対の主張には、基地依存経済という現実を見ない空論と批判されてきた。しかし、現実では逆であり、基地があるから沖縄経済が自立できないという考えが浸透しつつある。これは基地論争に新たな枠組みをもたらすものである。基地問題を空想的な理想主義と現実主義の対立と整理するならば、無知と読解力のなさを露呈することになる。むしろ基地反対は、基地の存在による負の効用を直視する地に足ついた主張となる。

一方で跡地開発が基地反対の主要な理由になることには懸念がある。基地論争が基地依存派と、デベロッパーとゼネコンに代表される開発推進派の利権争いに堕落してしまいかねないためである。開発が沖縄県民の利益になるとは限らない。実際、那覇新都心(おもろまち)の超高層ビル群建設計画は首里城からの景観を破壊するとして反対運動が起きている。

基地依存派と開発推進派という保守勢力同士の利権争いという視点では、辺野古沖(キャンプ・シュワブ沿岸部)への移設案は巧妙な妥協案になる。市街地にある普天間基地を閉鎖して跡地を開発できれば、開発推進派は満足する。ゼネコンは辺野古沖の新基地建設でも跡地開発でも儲けられる。犠牲になるのはジュゴンをはじめとする貴重な自然だが、それは開発推進派の知ったことではない。

この普天間問題について、鳩山由紀夫前首相は「最低でも県外」と表明し、沖縄県民に期待を抱かせ、首相就任後は移設先をゼロベースで検討し直した。保守派には鳩山氏は基地依存派と開発推進派の双方に配慮した計画案を白紙に戻し、論争を再燃させた非常識な破壊者に映る。これは鳩山氏が保守派から非常に低い評価を下された一因となった。一方で本音は「常時駐留なき安保」の鳩山氏が故意に普天間問題を迷走させて、基地反対運動を煽ろうとしたとの陰謀論が生まれる素地もあった(林田力「迷走する「普天間問題」における陰謀論の効用」PJニュース2010年5月2日)。
http://news.livedoor.com/article/detail/4749767/

最終的に民主党政権は沖縄の期待を裏切り、沖縄の怒りだけが残された。跡地開発による経済発展という未来図は、基地反対を地に足ついた主張にする。一方で経済的利益に基づく主張は、利益誘導で転びやすいという弱さも内包する。今後も沖縄の基地反対の声に注目したい。【了】

林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)
http://hayariki.weebly.com/
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市民メディアHAYARIKI
http://hayariki-d2.r-cms.jp/

生活保護受給者を狙う不動産屋

生活保護受給者を狙う不動産屋
不動産業者が生活保護受給者を狙っていると報道された。増加する空室を生活保護受給者で埋めようとする貧困ビジネスである。新築マンションをだまし売りした東急リバブル東急不動産のような悪質な業者が業界には溢れている。

2010年6月15日火曜日

林田力「『バッド・ドリーム』日本政治の闇をユーモラスに描く」

本書(落合誓子『バッド・ドリーム 村長候補はイヌ!?色恋村選挙戦狂騒曲』自然食通信社、2009年8月30日発行)は日本海に面する架空の小さな村を舞台とした村長選挙の物語である。公共事業の利権で腐敗した日本政治の実態をユーモラスに描く。

産業廃棄物処分場プロジェクト誘致をめぐり、村は開発優先の賛成派と環境保全の反対派に2分される。賛成派は急死した全村長一家の飼い犬を立候補者にし、買収や反対派への嫌がらせなど何でもありの選挙戦を展開する。
http://www.janjanblog.com/archives/5631
著者は石川県珠洲市の市議会議員であり、珠洲原発の問題について書籍を刊行している(『原発がやってくる町』すずさわ書店、1992年)。本書はフィクションであるが、珠洲原発建設をめぐる賛成派と反対派の対立の経験が活かされているように思われる。

反対派と賛成派を分ける要素は反対派住民の言葉が象徴する。「嫌なもんは嫌という人種と、金にでもできればという人種」である(117頁)。救いがたいのは「金にでもできれば」と考える賛成派の思考に合理性がないことである。

日本人には「(家族が)赤紙一枚で殺されても、まだお上にくっ付いてさえおれば、お上が良いようにしてくれて美味い目にあうと考える」おめでたいほどのお人よしが多い。だから何度だまされても懲りることがない。日本で革命が起きない理由は、この点にあると考える。その意味では反対運動は社会を変える第一歩になる。

選挙戦で賛成派側は現金配布、新聞社を騙った偽調査、反対派支援者への嫌がらせの手紙など手段を選ばない実態が描かれる。反対派が確かな証拠から警察に訴えても、警察は取り上げようとしない(151頁)。ここにも日本の暗い現実が描かれている。

本書の優れたところは選挙戦終了後に反対派の主だったメンバーに自問自答させていることである。それによって彼らは反対運動への確信を深めていく。これこそが市民運動を一過性で終わらせないために必要な要素である。
http://news.livedoor.com/article/detail/4824244/
http://www.pjnews.net/news/794/20100611_6
北芝健サイバースクワッティング問題の混迷
http://news.livedoor.com/article/detail/4826162/
http://www.pjnews.net/news/794/20100612_8

沖縄普天間問題について

沖縄 普天間問題について
沖縄県では普天間問題で反米軍基地の声が広汎な盛り上がりを見せている。これまで基地問題は保守と革新のイデオロギー対立の場であったが、今の反基地の声は伝統的な革新勢力の枠を超えて広がっている。
そこには基地がなくても沖縄は経済的に成り立つ、むしろ基地が経済成長の足枷になっているとの沖縄経済界の自信がある。その象徴が高層ビルの林立する那覇新都心である。市街地に広がる米軍基地を撤去し、跡地を開発すれば沖縄は大きく発展するとの皮算用である。
これまで反基地の声には、基地依存経済という現実論が対置されてきた。しかし、実は沖縄経済が自立できないのは基地があるためであった。これは重要な論点である。一方で跡地開発が基地反対の主要な理由になると、基地依存派とデベロッパーとゼネコンに代表される開発推進派の利権争いに堕落してしまう。
実際、開発が無条件で沖縄の利益になるとは限らない。おもろまちの高層ビル建設が首里城の景観を破壊するとの反対の声もある。
基地依存派と開発推進派という保守勢力同士の利権争いという観点で眺めると、沿岸部への移設は保守勢力にとっては慎重に検討された妙案となる。市街地にある普天間飛行場を閉鎖して跡地を開発できるために開発推進派は満足できる。犠牲になるのはジュゴンをはじめとする貴重な自然だが、それは開発推進派の知ったことではない。
この立場に立つならば、基地依存派と開発推進派のバランスの上に慎重に練り上げた沿岸部移設をゼロベースで検討し直した鳩山由紀夫前首相は、とんでもない破壊者に映る。反対に鳩山氏は故意に迷走させて反対運動を盛り上げようとしたとの陰謀論が生まれてくる。

2010年6月14日月曜日

東急リバブル不買運動家の咎め

東急リバブル不買運動家の咎め
やくざの目だ。東急リバブル東急不動産不買運動家は相容れないものを感じた。その瞬間、不買運動家の咎める目つきと悪徳不動産営業の黒い目に浮かんだ敵意がハッキリとぶつかり合った。地上げ屋は粗野で下品で教養のない男と相場が決まっている。

2010年6月13日日曜日

林田力「不動産の両手取引禁止を改めて公約に(上) 」

【PJニュース 2010年6月13日】変化を求める国民の期待を背景に歴史的な政権交代を果たした民主党政権であったが、普天間問題が象徴するように反故・放棄・放置・ウヤムヤにされた公約も少なくない。その一つに不動産仲介業者に対する両手取引の禁止がある。

民主党はキャッチフレーズ「コンクリートから人へ」に恥じず、不動産政策でも第45回衆議院議員選挙で画期的な公約を掲げていた。「民主党政策集INDEX2009」では「一つの業者が売り手と買い手の両方から手数料を取る両手取引を原則禁止とします」と記載する。これは不動産取引の健全化に有効であり、改めて公約として実現を目指すべきである。
http://news.livedoor.com/article/detail/4824244/
http://www.pjnews.net/news/794/20100611_6
不動産取引では売主と買主の間に仲介業者が入って取引を成立させる形態が普及している。売主や買主が独力で取引相手を探し出すことが困難な場合に、仲介業者の存在価値がある。仲介業者が物件の買い手または売り手を探し出してくれるためである。他にも仲介業者は契約条件の交渉や様々な手続きを行う。この報酬として売主・買主は不動産仲介会社に仲介手数料を支払う。逆に言えば仲介業者にとっては仲介手数料が売り上げになる。

不動産の売主は仲介業者に売却を依頼し、買主は仲介業者に条件にあった物件探しを依頼する。両者の条件がマッチすれば取引が成立する。この場合、買主・売主は各々自分の仲介業者に仲介手数料を支払う。

売却を依頼された仲介業者が自社の広告等で買い手を探し出し、取引を成立させた場合、この仲介業者は売主・買主の双方から仲介手数料を受け取ることになる。1回の取引で2回分の手数料を得られることになり、仲介業者にとってオイシイ取引となる。これは両方の手で手数料を受け取ることから、両手取引(両手取り)と呼ばれる。
問題は両手取引しか考えない業者が存在することである。この種の仲介業者は売主から物件の売却を依頼されても、他社から引き合いには「売れた」と嘘をついてでも断り、自社に客が付くのを待つ。記者(=林田)も両手取引しか考えない不動産業者の被害を受けた経験がある。

記者は2003年に東急不動産(販売代理:東急リバブル)から新築マンションを購入したが、隣地建て替えなどの不利益事実を隠していたことが購入後に判明したため、消費者契約法第4条第2項(不利益事実不告知)に基づき、売買契約を取り消した。

それまで住んでいたマンションの売買契約を取消したため(要するに返品することになったため)、新たな住居を探す必要が生じた。選択肢の一つとして中古不動産の購入を検討した。本記事は、その際の経験をまとめたものである。

インターネットのポータルサイトから条件(立地、価格、面積、間取り、築年数等)にあった物件を探し出し、その物件情報をもって不動産業者(A社)に内覧の手配を依頼した。しかし、A社が物件の売主側の仲介業者(B社)に確認したところ、物件は既に成約済みと回答を受けた。

その物件広告は掲載されたばかりで、すぐに売れてしまったのが信じられなかった。当該物件は良さそうで簡単には諦めきれなかった。そこでダメモトで直接B社に電話で問い合わせた。驚いたことに売れておらず、案内も可能との回答であった。A社経由で問い合わせた場合とB社に直接問い合わせ場合の矛盾は不動産仲介の両手取りを考えると説明がつく。
http://www.janjanblog.com/archives/5575
即ち、A社経由の問い合わせの場合、A社が買主の仲介業者となり、成約してもB社が得られるのは売主からの仲介手数料のみである。一方、購入検討者が直接問い合わせした場合、成約すればB社は買主・売主双方から仲介手数料を受け取ることができる。両手取りを目的とする場合、他社から引き合いには「売れた」と嘘をついてでも断り、自社に客が付くのを待つことが合理的となる。【つづく】

二子玉川公金支出差止住民訴訟記事後編

二子玉川公金支出差止住民訴訟記事の後編が掲載されましたので、連絡します。
二子玉川公金支出差止訴訟で住民側控訴(中)
http://news.livedoor.com/article/detail/4816014/
http://www.pjnews.net/news/794/20100605_8
二子玉川公金支出差止訴訟で住民側控訴(下)
http://news.livedoor.com/article/detail/4823555/
http://www.pjnews.net/news/794/20100605_9

林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)
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林田力「『猫の町』現実に空想が侵食する恐怖」

林田力「『猫の町』現実に空想が侵食する恐怖」
本書(ナリ・ポドリスキイ著、津和田美佳訳『猫の町』群像社、2009年9月5日発行)は、ロシアの考古学者・作家によるソ連時代のクリミア半島の田舎町を舞台としたパニック小説である。1970年代に書かれた作品であるが、ソ連の検閲体制に阻まれ、モスクワで公刊されたのは1998年になってからである。
http://www.janjanblog.com/archives/5406
人々は猫を愛し、街には飼い猫や野良猫が溢れていた。しかし、猫を媒介としたウィルスが人に感染すると、街は封鎖され、住人は猫の虐殺を始める。粗筋をまとめるならば現代の新型インフルエンザ騒動を髣髴とさせる典型的なパニック小説となる。

しかし、実際の読後感は大きく異なる。本書の中心は現実に起きた恐怖やパニックではない。現実と空想が入り混じった不安定さが特徴である。たとえば人間が次の瞬間にはアメーバに変形してしまうような幻覚を主人公は感じている。この点ではフランツ・カフカの作品に似ている。次から次へと襲い来る恐怖で息もつかせない作品ではない。

しかも町中の人間が皆、精神のバランスを失っているようで、町自体が現実離れした空間の様相を呈している。この現実と空想の境界の曖昧さはウィルス感染発覚前から存在していた。空想が現実に侵食していく恐怖は、唯物論を信奉する社会主義国家が舞台であり、主人公が科学者(海洋学者)であることによって増幅される。

人々の不安は「常に誰かに監視されている」「突然、秘密警察に消されるかもしれない」という全体主義体制の圧迫感が背景になっている。この点は監視社会化しつつある現代日本においても他人事ではない。

また、主人公の科学万能思想も躓きの石になっている。主人公は科学で説明できない現象を知覚しても、神経の化学反応の結果に過ぎないと頭ごなしに否定する。そのような強引な科学的理由付けが却って物事の本質から目をそらさせ、主人公を狂気の世界に陥れる。非科学的な現象を頭ごなしに否定しなければ自我を保てない科学信奉者の精神の脆さを実感した。
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多極化を先取りした鳩山友愛外交と東アジア共同体
http://news.livedoor.com/article/detail/4820594/
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2010年6月12日土曜日

だまし売り企業工作員は最低

だまし売り企業工作員は最低
東急リバブル東急不動産だまし売りを擁護し、だまし売り被害者を中傷する企業工作員は最低

多極化を先取りした鳩山友愛外交と東アジア共同体

【PJニュース 2010年6月11日】管直人首相が誕生した。記者は学生時代にNPOの菅直人を応援する若手の会(CAN2)に参加しており、市民運動家出身の首相の誕生を心から歓迎する。

菅首相の誕生は鳩山由紀夫前首相が国民の支持を失った結果である。支持失墜は鳩山政権の方向性が間違っていたためではない。「最低でも県外」と主張していた米軍普天間飛行場の移設先を名護市辺野古にするなど、自ら提示した方向性と逆行したためである。それ故に鳩山政権の打ち出した方向性については、その実績とは区別して評価する必要がある。

外交面での鳩山政権の特徴として、友愛外交と東アジア共同体がある。これも具体的な成果をもたらすには至らなかったが、ビジョンだけでも戦後日本の対米従属を脱却する画期的な内容であった。現実に賛否両論が噴出し、激しく議論されたことが裏付けている。

対米従属からの脱却を志向する鳩山外交は世界の多極化を先取りしたものである。鳩山外交の批判者は、鳩山外交を理想主義的・非現実的と批判するが、むしろ現実主義(リアリズム)に立脚している。

批判者は鳩山外交が日米関係の軽視しているのではないかと主張する。確かに現代日本にとって米国は重要な国であり、米国の意向が日本を左右するという面は否定できない。しかし、問題は米国自身の方向性が揺れていることである。

これまで米国政府内でネオコンと呼ばれる勢力が強かった。彼らは英米中心の単独覇権主義を維持・拡大しようとする勢力である。一方で米国にはモンロー主義的な勢力が歴史的に根強い。また、連邦政府の権限縮小を主張する州権主義も単独覇権主義への否定に働く。この単独覇権主義の是非という路線対立はブッシュ政権の時から内包していた。実際、対北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)政策では中国主導の多国間協議に委ねる傾向があった。

戦後の日本外交は対米従属路線を採り続けていた。これは米国の覇権主義にとって好都合であった。しかし、米国自身が単独覇権主義を望まなくなるとしたら、日本の対米従属は米国にとって負担になる。特に北朝鮮の拉致問題解決のために米国の強硬姿勢を求めるような日本外交は、米国を北朝鮮や中国との不要な対立に巻き込む危険因子となる。もはや対米従属路線を採り続けていれば日本は安泰という単純な事態ではなくなっている。この点を踏まえるならば鳩山外交は米国の現実を見据えたもので、その意義は高く評価されるべきである。【了】

林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)
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2010年6月11日金曜日

東急リバブル被害者の怒り

東急リバブル被害者の怒り
「東急リバブル東急不動産は、どうしようもない屑だ。東急リバブル東急不動産が絡んでいる取引ならば、たとえ表向きはまともだろうとも、きっと裏に何かある。絶対だ。東急リバブル東急不動産の手口は断じて許せないし、忘れようにも忘れられない」
「ひどいな。ぜんぜん知らなかった」
東急不動産被害者は皮肉な笑みを浮かべた。この時ほど原告は自分がちっぽけで、情けない人間に感じられたことはなかった。
「絶えず動静を知らせてくれ。何か動きがあったら、すぐに知らせるのだ。これだけはしっかり覚えておけ。東急リバブル東急不動産が噛んでいたら、絶対どこかに不正がある。それがどこにあるか、私の経験が役に立つかもしれない」
ここまで真剣に話を聞いてくれたことに原告は感謝した。

2010年6月10日木曜日

民主党への逆風を活かせない谷垣自民党

【PJニュース 2010年6月9日】横浜市議泉区補欠選挙が2010年6月6日に投開票され、民主党公認の新人で元小学校教諭の麓理恵氏が初当選した。この補選は菅直人新首相選出後に行われた初の地方選挙で、夏の参院選の前哨戦と位置付けられる。自由民主党公認の萩原雅彦氏、みんなの党公認の横山勇太朗氏の三つ巴の争いになった。自民党公認候補の得票は、みんなの党公認候補にも劣り、自民党が民主党への逆風を活かせていないことを改めて印象付けた。

これは谷垣禎一元財務相が麻生太郎前首相の後継として自民党総裁に選出された時点で予想できたことである。谷垣氏は2009年9月28日に投開票された自民党総裁選で第24代総裁に選出された。総裁選は谷垣氏、河野太郎元副法相、西村康稔元外務政務官の三つ巴の争いであったが、谷垣氏が国会議員票でも地方票でも過半数を占めて順当勝ちした。
http://news.livedoor.com/article/detail/4816017/
http://www.pjnews.net/news/794/20100608_5
谷垣氏の選出により、自民党総裁選におけるリピーターの強さが改めて裏付けられた。谷垣氏は小泉純一郎元首相や麻生氏と同じく、過去に総裁選に出馬し、惨敗した経験もある。今回の総裁選候補者の中では最も馴染みのある古株である。この谷垣氏を選出した点で、自民党はオバマを大統領に押し上げた米国のダイナミズムとは対照的であった。

一方で自民党では安易に総裁になると、安易に政権を放り出す傾向がある。安倍普三元首相や福田康夫元首相が好例である。このため、粘り強く再挑戦する人物が選ばれることは必ずしも悪いことではない。

谷垣氏の課題は衆院選で惨敗した自民党の立て直しであるが、茨の道である。谷垣氏の特徴は保守本流に位置することにある。この点で小泉純一郎元首相や安倍普三元首相らタカ派・新自由主義の色彩が強まった従前の自民党からの揺り戻しになる。しかし、それが過激なタカ派・新自由主義を嫌悪した層を取り戻すことには直結しない。本記事では2点指摘する。

第1に保守本流の発想は格差社会化した現代日本では賞味期限切れになっている。保守は本質的には民衆よりも権力や大企業寄りの立場に立つ。それにもかかわらず、日本で保守本流が広範な国民的支持を得られたのは産業優先の政策で企業の業績が向上すれば、国民の所得も拡大するという期待があったためである。池田勇人元首相の所得倍増計画が典型である。ところが、格差社会では社会全体が豊かになるという発想は幻想である。非正規労働者が象徴するように企業が好業績になっても、労働者の給与は増えない。「皆で豊かになろう」という保守本流の思想は白々しい絵空事になってしまった。

第2に保守本流は政治的な対立軸にならなくなった。衆院選で圧勝した民主党は、かつての自民党タカ派から社会党までを含む寄り合い所帯である。リベラル対新保守のような対立軸では民主党は成り立たない。この寄り合い所帯を一つの党として結びつけた思想が官僚政治の打破であった。政治主導対官僚主導という対立軸を国民に浸透させたことが民主党の勝因である。この状況で消費税増税を持論とする谷垣氏は官僚の論理に立つ政治家というマイナスイメージが強くなる。

自民党を立て直すためには単なる揺り戻しではなく、問題点を直視し、真摯な反省による変化が必要である。【了】

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悪徳不動産営業のどす黒さ

悪徳不動産営業のどす黒さ
悪徳不動産営業の肥満した体は怒りで黒ずみ、今や雷雲と見紛うばかりであった。垂れ下がったまぶたの奥からは稲妻よりも鋭い光が放たれている。
東急不動産だまし売り被害者は少しも怯まずに相手の視線を受け止めた。冷静に、と原告は自分に言い聞かせた。
悪徳不動産営業の息がゼイゼイと荒くなった。まるで平手打ちでも食らったように顎がガクガクと震えている。犬に似ていたが、犬のような可愛らしさは皆無であった。

2010年6月9日水曜日

二子玉川公金支出差止訴訟で住民側控訴(中)

【PJニュース 2010年6月9日】(上)からのつづき。「合理性を欠くとまではいえない」的な表現は本判決の特徴となっている。判決は再開発地域の地域性について以下のように曖昧な判断を下した。

「機能的な都市活動を確保するという観点からすると、商業・業務施設、中高密の住宅などを充実させることが適切な地域であるとみることができるし、他方において、健康で文化的な都市生活を確保するという観点からすると、自然的環境を回復させることが適切な地域であるとみることもでき、いずれか一方の地域として整備しなければその地域性に反するとまではいい難い場所にあるということができる。」(判決書29頁)

その上で現行の再開発計画を可能にした都市決定に、以下の回りくどい結論になっている。「事実に対する評価が明らかに合理性を欠き、判断の過程において考慮すべき事情を考慮しないこと等によりその内容が社会通念に照らして著しく妥当性を欠くものとまではいえないと解すべきである。」(判決書29頁)
http://news.livedoor.com/article/detail/4816014/
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開発が適切であるとも自然環境の保全・回復が適切であるとも見ることができるということは当たり前である。この論理に立つならば広島地裁が2009年10月1日に事業差し止めを命じた鞆の浦(広島県福山市)の架橋でさえも適切とみることができると立論できる。どのような計画であっても視点を変えれば適切な面があると主張することは可能である。その上での判断を当事者は裁判所に求めている。

しかも、問題は「商業・業務施設、中高密の住宅などを充実させる」ことが適切であるか否かという抽象論ではない。都市計画決定によって、それまで二子玉川に存在しなかった超高層ビルが何本も建設できることの是非が問題である。

これは不足していた商業・業務施設やマンションを充実させるどころか、商業・業務施設やマンションだらけにするものである。その弊害(日照・眺望の悪化、大気汚染、交通渋滞の激化など)も裁判では指摘済みである。そのインパクトを分析した上で、超高層ビルを何本も建設できるようにすることが適切であるのか判断されていない。

実質的な判断を避ける判決の消極的姿勢は、補助金交付が世田谷区市街地再開発事業補助金交付要綱違反であるかの判断において一層露骨である。補助金交付要綱では補助金交付決定に際して審査を義務付けている。

二子玉川東地区市街地再開発組合は建築コンサルティング会社アール・アイ・エーらと締結した実施設計に関する請負契約(金額1億8900万円)や権利返還計画作成に関する請負契約(金額1億2810万円)に補助金交付を申請した。これらの事業について再開発組合は2006年3月20日に実績報告書を提出し、世田谷区は同月22日に補助金決定等の適合性を認め、31日に補助金額を確定して通知した。【つづく】

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管直人内閣発足

管直人内閣発足
鳩山由紀夫内閣の後任として、管直人内閣が発足した。市民運動出身の首相に期待が高まる。

2010年6月8日火曜日

ファンタスティック・カップル

ファンタスティック・カップル
フジテレビで放送中の韓流ドラマ。ラスト・スキャンダルとは趣の異なるラブコメである。どちらも韓国社会の元気の良さが伝わってくる。

2010年6月7日月曜日

「はり半」跡地の渓流改築許可無効を求めて提訴

【PJニュース 2010年6月7日】兵庫県西宮市甲陽園の老舗料亭「はり半」跡地ではマンション建設に伴い、敷地内を流れる渓流が埋め立てられ、西側の市道沿いに人工水路として付け替えられる。これに対し、近隣住民らが2010年5月30日に西宮市長による水路(渓流)改築許可の無効確認を求めて神戸地方裁判所に提訴した。

「はり半」は山荘形式の風雅な料理旅館であった。敷地内には自然渓流が流れ、沢蟹、ヤゴ、カワニナなどが生息する。水上勉や小林秀雄ら多くの著名人に愛されたが、2005年に廃業した。跡地では日本エスリードが232戸のマンションを建設する計画を進めている。この計画では敷地の90%余りの樹木が伐採される。渓流も埋め立てられ、3面コンクリート張りの水路に付け替えられる。

これに対し、近隣住民らは「はり半跡地開発問題対策委員会」を結成し、跡地の素晴らしい自然、住環境を次の世代に引き継ぐことを求めて活動している。住民らは「甲陽園の良さを保つには自然を壊さないことです」と主張する。跡地では2009年2月から工事がストップし、静かな日々が続いていたが、2010年4月19日から工事が再開し、近隣住民は騒音や埃で窓も開けられない生活を強いられている。
http://news.livedoor.com/article/detail/4812135/
http://www.pjnews.net/news/794/20100606_6
既に西宮市を被告とした開発許可の取り消しを求める訴訟が神戸地裁に係属中である。今回、新たに水路改築許可を争点とした訴訟を提起した。住民側の主張は以下の通りである。

西宮市は渓流の埋め立て及び人工水路の付け替えを西宮市は地方自治法の特例として、開発許可の手続きの中で許可した。しかし、これは地方自治法の特例としての「付け替え」事件には当たらず、行政処分の市長裁量権を濫用し、法律違反である。付け替えの重大性に考慮を払うことなく、安易に開発行為許可処分を行ったもので、市民に対する行政の背信行為である。

渓流は市民の大切な財産(行政財産)である。水路の付け替えは行政財産の処分に該当する。地方自治法第238条の4は「行政財産は、次項から第四項までに定めるものを除くほか、これを貸し付け、交換し、売り払い、譲与し、出資の目的とし、若しくは信託し、又はこれに私権を設定することができない」と定める。

西宮市の許可処分は、あくまでも都市計画法上の一排水施設としての機能にしか着目していない。渓流が有してきた貴重な歴史的・文化的価値への考慮を欠いている。景観利益や持続可能な自然生態系保護に対する検討・評価もなされていない。自然の渓流と人工水路は全く価値の異なる異質のものであり、これは地方自治法の特例として扱うべき「当然交換される」事案に該当せず、違法であり、その瑕疵は重大である。
結論として行政財産の処分違反(地方自治法238条4項)であり、裁量権の逸脱・濫用(行政事件訴訟法30条)に該当するとする。【了】

林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)
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ガザ支援船襲撃イスラエルに抗議

イスラエルのガザ支援船襲撃は暴挙
不法なイスラエルに断固抗議する。イスラエルはガザの封鎖を即時解除し、パレスチナの占領を止めなければならない。イスラエル企業・製品のボイコット・不買運動を拡大する。

2010年6月6日日曜日

東急不動産従業員の滅茶苦茶な言い訳

自己中の塊のような東急不動産従業員の滅茶苦茶な言い訳を聞くにつけ、想像力に欠ける人間が社会にとってどれほど迷惑であるかということを思い知らされた。東急不動産従業員は自社のワガママだけを押し通し、消費者のことは全く考えない。不利益事実を隠して問題マンションをだまし売りすることによって、どのような結果がもたらされるか、といいことを考えずない。ひたすら自分達の欲望の趣くままに行動している。東急不動産のような不誠実な企業を野放しにしておくことは社会の恥である。
http://yaplog.jp/tokyufubai/archive/1294
林田力「『北芝健のニッポン防犯生活術』犯罪者の性向を踏まえた防衛策」JanJanBlog 2010年6月5日
http://www.janjanblog.com/archives/4772
林田力「だまし売り被害者にも宗教勧誘(折伏)」JanJanBlog 2010年6月5日
http://www.janjanblog.com/archives/4811
林田力「不寛容への怒り『秘密の巻物』」JanJanBlog 2010年6月6日
http://www.janjanblog.com/archives/4823

だまし売り被害者にも宗教勧誘(折伏)

中学時代の同級生から創価学会への勧誘を受けた。記者は東急不動産株式会社と新築マンション購入で裁判トラブルとなった。東急不動産(販売代理:東急リバブル)から購入した新築マンションを購入したが、引渡し後に隣地建て替えなどの不利益事実を隠していたことが判明した。そのために消費者契約法第4条第2項(不利益事実不告知)に基づき、売買契約を取り消した。しかし、東急不動産は売買代金の返還に応じなかったため、裁判を起こし、東京高裁において訴訟上の和解が成立した後も、和解条項の履行を巡り、トラブルが続いた(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。

裁判も裁判後のトラブルも記者にとっては初めてな経験であり、多くの人に相談した。冒頭の同級生も、その一人であったが、彼の場合は結局のところ、創価学会への勧誘が目的ではないかと思わせるものであった。
http://www.janjanblog.com/archives/4811
彼が親身になって記者の話しを聞いてくれたことは事実である。彼は埼玉県民であったが、時には東京都江東区の東急不動産マンションにまで来て、裁判で争われている日照・眺望が皆無になった状況を確認した。それまで彼とは中学校卒業後は会ったことはなく、選挙の度に公明党への投票依頼が電話でなされる程度の関係であった。投票の依頼も単に電話をかけて終わりという程度で、政策や候補者の話はせず、挨拶程度のものに過ぎなかった。しかし、東急不動産とのトラブルの相談後は、メールや電話で頻繁に連絡を取り、たまに会う関係になった。

旧交を温める中で、彼からは創価学会の話を聞かされることが多くなった。彼は両親が創価学会員で、子どもの頃は家の宗教という感覚でしかなかった。しかし家庭の経済的な事情で大学院への進学は難しいと言われていたが、必死に題目を挙げて祈ったところ、奨学金を勝ち取り、信仰に目覚めたという。それから創価学会の活動家になり、地域の学生部長などの役職にも就き、学会会館の自主警備を担当する学会内部の人材グループ「牙城会」にも所属したという。

彼による宗教勧誘の内容は以下の通りである。

第1に入信そのものの勧誘である。これに対しては早い段階で「東急不動産と裁判している状況では他のことを検討する余裕はない」と断った。

第2に創価学会の会館で開催される本部幹部会の同時中継への出席の勧誘である。当時居住していた東急不動産マンションから歩いて行ける距離に創価学会・江東文化会館があり、そこに誘われた。同時中継というのは本部幹部会の映像を流すものである。中継とはいうものの、リアルタイムではなく、録画したビデオを流すものである。池田大作・名誉会長の講演で大半の時間が占められていた。

第3に題目(南無妙法蓮華経)を唱えることを勧めた。題目で東急不動産への勝訴祈願をするとよいという。彼自身は毎日、題目をあげているそうだが、題目をあげる直前に「今日も祈ります」という内容のメールを送信してくるようになった。毎日来るので、「毎日同じメールを送ってくるね」と返したところ、送信してこなくなった。

第4に聖教新聞の購読依頼である。記者が断ると、彼が費用負担すると主張し、贈呈という形で、しばらく購読することになった。聖教新聞では前月20日頃に翌月の配達を申し込む仕組みになっており、連絡を取っていない時期でも、大体、20日前には彼から「来月も新聞を配達していいか」という確認の連絡だけは来た。

こちらの状況を考えずに新聞購読の確認だけはしてくることもあったため、最後には購読を断った。東急不動産との裁判は多くの人々や団体の助けを借りて進めてきたが、その中には創価学会と対立する組織もあった。むしろ対立する団体から有益な支援を受けたことも事実である。購読拒否には、その辺りのバランス感覚が働いた面もある。

購読を断って以来、勧誘はなくなった。それどころから彼からの連絡自体が来なくなった。これが彼の目的が勧誘にあったと判断する理由である。創価学会については執拗な勧誘や拒否した場合が問題視されることが多いが、記者については問題ない。記者の経験から執拗な勧誘で困っている人に対して助言することがあるとすれば、断る時はキッパリと断ることとなる。但し、それくらいは恐らく既に行われていると思うので、役に立てそうにない。

記者が聖教新聞購読など一部でも彼の依頼に応じたのは、東急不動産との裁判の中で創価学会に関心を持つべき事情があったためである。東急不動産が問題のマンション建設時に近隣対策をさせていたブローカーが、少なくとも表向きは東急不動産とは別の立場で、記者の訴訟代理人弁護士に接触してきた。ブローカー側も弁護士を連れてきたのだが、その弁護士が創価学会の元信者が損害賠償を求めて池田名誉会長を訴えた事件の原告(元信者)側の訴訟代理人の一人であった。

この裁判は判決の認定するところによると、損害賠償の根拠となる事実が存在しないとして池田名誉会長が勝訴した。判決に従えば、元信者は池田名誉会長を陥れる目的で存在しない事件をでっち上げて訴えたことになる。裁判では原告側が提出した証拠が捏造であると被告側によって反論された。事実ならば訴えを起こした元信者も、その訴訟代理人も、とんでもない人間となる。

元信者の方は創価学会に対する恨みが動機になっていると説明できる。しかし、それに弁護士も加担するというのは、社会正義を追求する弁護士に対する信頼を失墜させるものに感じられた。その弁護士がブローカー側の弁護士として接触してきたため、記者は緊張した。虚偽の証拠を捏造するような弁護士と対決する可能性が浮上したためである。

そこで池田会長が訴えられた裁判を通して、その弁護士について詳しく知るために彼から話を聞いた。しかし彼との話は実のあるものではなかった。裁判について尋ねれば打てば響くように「火のないところに煙を立てた狂言裁判」と創価学会の出版物に書かれているようなキャッチフレーズを返してくる。その実、裁判の内容はあまり知らない。調べた記者の方が詳しいほどであった。学会に対してマインドコントロールや洗脳と非難する立場がある。その当否をここで論じるつもりはないが、そのような非難を打ち消すような、自分で考えて判断する人の態度とは乖離していた。

最後に記者の経験をまとめたい。学会員にも色々な人がおり、一般化するつもりはない。しかし、彼は人材グループの牙城会員であり、地区の役職にも就いている活動家である。特殊な一学会員の事例という以上の価値はあると考える。

第1に創価学会員が悩んでいる人、困っている人に親身に相談に乗る姿勢を持っていることは評価する。実際、記者のように不動産という一生に一度あるかないかの買い物で問題物件をだまし売りされ、権利回復のために大企業と戦っていく身には彼のように話を聞いてくれる存在はありがたかった。

たとえ布教が目的であっても、行動自体は褒められるべきものである。それで問題が解決するならば素晴らしいことであり、まさに信仰の力となる。宗教上の聖人とされる人々も、創価学会における功徳経験のようなものが信仰のきっかけとなった例は少なくない。

吟味すべきは創価学会員のアプローチで悩みや困ったことが解決するのか、という点である。彼は何かあるとすぐに「祈る」と言うが、祈りでは解決できない問題も多い。現実逃避にしかならないこともある。その結果、元々の問題は解決せず、変わったことは創価学会に入信しただけということになりかねない。信仰という別のことに熱中することで嫌なことを一時的に忘れられるかもしれないが、それで心が救われることはない。悩みの原因を脇に置いて信仰にのめりこんでしまうならば、原因を作り出した悪徳不動産業者のような存在を喜ばせるだけであり、最大の不幸である。

そもそも相談に乗るのは勧誘のきっかけのためだけあり、相談そのものには関心がないのではないかという疑いさえある。記者の場合、東急不動産との裁判がうまく進んでいる時は、彼は頻繁に連絡してきた。しかし、そうでない時は話が続かなくなり、連絡も途絶えがちになった(それでも聖教新聞の更新の連絡だけはきた)。うまくいっている人は激励するが、本当に困っている人には冷たいのではないか、という印象がした。「人助けをしている自分」という自己満足のための活動ならば相手を不幸にするだけであり、善行にもならない。

第2に布教すること自体は宗教団体として当然の活動と考える。積極的に布教をしなければ組織を維持できない点をカルトのメルクマールとする見解もあるが、布教をしなくても組織を維持できる伝統宗教の方が既得権に乗っかっており、本来の宗教のあり方と離れているとの考えも成り立つ。

一方で創価学会員になること、即ち宗教を変えることを簡単なことのように説明する態度は問題である。宗教は無宗教であることも含め、人の価値観の大きな部分を占める大事なものである。その宗教を変えるのだから、熟慮を重ねなければできないことである。これは自分自身に置き換えて見れば分かる筈である。自分が別の宗教の人から勧誘された場合のことを考えればいい。軽々しく宗旨替えすることはないだろう。この点についての認識がなければ、対応がソフトになったとしても折伏=迷惑行為と受け止める声は消えないだろう。

林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)
http://hayariki.weebly.com/
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『北芝健のニッポン防犯生活術』犯罪者の性向を踏まえた防衛策

林田力「『北芝健のニッポン防犯生活術』犯罪者の性向を踏まえた防衛策」
本書(北芝健『元警視庁刑事・犯罪社会学者 北芝健のニッポン防犯生活術』河出書房、2007年12月30日発行)は元警視庁刑事で犯罪社会学者の著者が犯罪に対処する技術と思考を具体的に提示した書籍である。警察官時代に多種多様な扱った著者に相応しく、空き巣から悪徳商法、ネット犯罪まで幅広い内容を扱っている。一つのテーマが見開き2頁または4頁にまとめられており、イラストや表を多用しているため、非常に読みやすく分かりやすい。

本書の特色はテーマのカテゴライズにある。章立てを「家族に降りかかる犯罪」「子供に降りかかる犯罪」「娘が巻き込まれる犯罪」「両親に降りかかる犯罪」と想定される被害者別に分けている。その結果、「家族に降りかかる犯罪」という同じ章の中に「空き巣」や「家庭内暴力」、「交通犯罪」が入るなど、犯罪類型からすると奇妙なカテゴリー分けになっている。これは犯罪学的な分類ではなく、犯罪被害者となりうる読み手の立場を優先してまとめた結果である。読み手に有益な形で情報を提供しようとする著者の実践的なスタンスは評価できる。
http://www.janjanblog.com/archives/4772
また、本書は「投資詐欺」や「催眠商法」という悪徳商法にも独立した項目で説明し、防犯の観点からは軽視されがちな経済犯罪にも目を配る。東急不動産(販売代理:東急リバブル)から不利益事実(隣地建て替えなど)を説明されずに新築マンションをだまし売りされた経験のある記者にとって大いに歓迎できる。

市民が巻き込まれる可能性のある犯罪を網羅した本書であるが、迫力があるのは暴力団に関する記述である。刑事警察・公安警察の捜査に従事し、組織犯罪に立ち向かった著者ならではの内容である。暴力団の怖いところは一度でも介入を許してしまうと、どこまでも追い回し、骨の髄までしゃぶられることにある。そのため、著者は「そもそも暴力団とは接点を持たないこと」と主張する(23頁)。

記者も上述のマンション購入トラブルで、地上げをしていたブローカーから圧力をかけられた経験がある。記者はブローカーを相手にせず、東急不動産に対して内容証明郵便を送付してブローカーの活動の停止を要求した(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。

暴力団は少しでも弱みや妥協的な姿勢を見せれば、そこから一気に入り込んでくる。毅然とした対応を求める本書の主張は記者の経験からも納得できる。犯罪者の性向まで考慮して防衛策を紹介する本書は安全な生活を送るために参考になる一冊である。
http://www.notaru.net/book/201006/0696
林田力「心理面重視の取調べ『「落とし」の技術』」JanJanBlog 2010年6月2日
http://www.janjanblog.com/archives/4501
林田力「北芝健ドメインでサイバースクワッティング(下)」PJニュース2010年6月3日
http://news.livedoor.com/article/detail/4805484/
http://www.pjnews.net/news/794/20100530_6

2010年6月5日土曜日

北芝健ドメインでサイバースクワッティング番外

「北芝健ドメインでサイバースクワッティング」記事で書ききれなかった内容を記す。
北芝氏はサイト開設者との電話での口論について以下のように説明する。北芝氏が詰問したところ、サイト開設者は「手前コノヤロー」と突然口調が変わった。言い争いになり、男同士の勝負をするという話になった。
サイト開設者が駒込に来ることを拒否したため、文京区千石で会うと話がまとまりかけた。しかし、サイト開設者は「出てくるが勝負はしない。黙って殴られるだけだ」と言い出した。北芝氏は「手を出させて暴行・障害とし、被害者に仕立て上げる罠である」と推測し、「気味の悪い奴だ」と評した。また、出入り禁止後は色々な人に「北芝は頭がおかしい」と吹聴したという。
北芝氏の説明ではサイト開設者は北芝氏が対立する前から影で北芝氏を中傷する書き込みをしていたことになる。その動機を北芝氏は空手道場の和気藹々とした雰囲気への嫉妬と分析する。アメリカからの女子留学生の送別会で、サイト開設者は記念品をもらえなかった。心の中で激怒し、憎悪したのではないかと述べる。
http://news.livedoor.com/article/detail/4805484/
北芝氏とサイト開設者の主張はサイト開設者の住居をめぐっても対立する。北芝氏は以下のように説明する。
サイト開設者は足立区の現住居を不法占拠している。サイト開設者は建物所有者に、「K氏は足を負傷して体力もなく、仕事もない。ネットショップとして住まわせてくれないか」と頼み込んだ。建物所有者が了承すると、サイト開設者も一緒に住み着いた。その後、K氏はサイト開設者と仲違いし出ていき、サイト開設者が占有している状態である。
K氏もサイト開設者も家賃を1円も払っていない。オークションの収益は会社の口座に入れていた。建物所有者が明け渡しを要求しても、「居住権がある。明け渡しを要求するならば退去費用を払え」と主張する。所有者が入れないように鍵も変更してしまった。
また、家の中にある品物もサイト開設者が勝手にネットオークションに出品して売り払った。その中には建物所有者にとって大事な品物もあった。これは窃盗として2010年3月に被害届を出した。
所有者から話を聞いた北芝氏は2010年4月8日に編集者と空手道場役員の3人で物件の下見に行った。サイト開設者は留守であった。家の周りにいたところ、自転車で帰宅中のサイト開設者に鉢合わせした。互いにとって想定外の出来事であり、しばらく動かずに見つめていた。
3人ともサイト開設者には触れていない。自転車の防犯登録を見た編集者とサイト開設者の間で以下の会話がなされた。
編集者「この自転車はサイト開設者の所有物ではないだろう」
サイト開設者「8000円で購入した」
編集者「自転車の所有者は、自転車を勝手に乗り回されて困っている」
編集者が100番通報すると、サイト開設者が自転車で北芝氏に突進した。前輪が北芝氏のズボンにぶつかった。北芝氏は前輪の跡のあるズボンを証拠として保持している。北芝氏は身体をひねったためにサイト開設者は尻もちをついた。
警察到着後、サイト開設者は「持ち主から借りた」と主張を変更した。建物所有者が来て、「自転車を貸した覚えはない」と答えた。サイト開設者は「冷蔵庫に肉をしまいたい」と述べ、警官が同行した。自転車には盗難届けが出ており、サイト開設者はパトカーで警察署に連れられた。
この後、サイト開設者は北芝氏と関わりのある出版社やイベント会場に乗り込み、「もうすぐ逮捕される。取引を止めろ」と妨害行為を繰り返している。また、イベントの共演者にも会いに行っている。
これに対して、サイト開設者は建物所有者から平穏に鍵を受け取っており、不法占拠ではないと反論する。家賃はネットオークション収益管理口座に振り込まれた中に含まれている。家賃が含まれていることを示す資料も所有している。その口座を建物所有者側が勝手に解約したことが問題である。
建物所有者との対立は、建物所有者が家賃値上げを要求したことに起因する賃貸トラブルである。周辺地域の地価や建物自体の状況から家賃を値上げする根拠はない。建物は雨漏りや漏電があり、自分で修繕した。賃貸トラブルに北芝氏や編集者が介入することが異常である。実際、介入によって問題がこじれている。

林田力「『やんちゃ、刑事。』破天荒でも相違は尊重」

本書(北芝健『やんちゃ、刑事。』竹書房、2007年11月30日)は元警視庁刑事で作家の著者が半生を振り返った自叙伝である。喧嘩に明け暮れた不良少年時代からヨーロッパ留学中のラブロマンス、ユーラシア大陸を横断する放浪旅、一念発起して警察官となり、公安警察に異動するまでを描く。

著者は自らの警察官の経験を元にした書籍を数多く出版している。本書で記載されたエピソードも類書(『警察裏物語』『スマン!刑事でごめんなさい。』など)と重なるものが多い。北芝作品はエンターテイメント性が強く、どこまでが真実で、どこからが誇張なのか微妙な話もあるが、別々の書籍でも繰り返し登場するエピソードは作り話と切り捨てられないリアリティがある。

類書と比べた本書の特徴は放浪旅の経験に紙数を割いていることである。著者は英国留学をしていたが、日本への帰途はバックパッカーとしてユーラシア大陸を横断する。安宿に泊まりながらギリシアやトルコ、イラン、アフガニスタン、インドを旅していく。
http://www.janjanblog.com/archives/4593
北芝作品の魅力は痛快な武勇伝である。それは警察官になる前の喧嘩エピソードにも警察官時代の殊勲にも共通する。一方、それを自慢話に感じてしまう向きもあり、好き嫌いは分かれるところである。記者は著者に好感を抱いており、エンターテイメント性を楽しむために本書を手に取った。しかし、本書には武勇伝に留まらず、含蓄ある言葉が存在する。

イギリス留学の箇所において著者は以下の述懐をしている。「当時は、人種差別は今よりもひどかったけれども、やっぱり相手の文化をしっかりと学び、尊敬の気持ちを示せばちゃんと分かり合えた」(74頁)。

また、警察時代についての箇所では警察内部の職種(交番勤務や刑事)で優劣を判断する傾向を批判する。

「仕事の優劣なんてまったくない。例えば警備の任務にしても、交通課の協力がないと交通整理もできないし、信号も変えられない。そのため、お互いの部署間の関係にはとても気を使うし、お互いを尊重しあっている。だから、一つの仕事に対して優越感や劣等感なんて内部的思考は全くない」(177頁)。

日本社会の悪平等主義に対しては以前から強く批判されている。一方で平等幻想の破壊後に出現した格差社会は「ワーキングプア」「ネットカフェ難民」の語が示すように悲惨な状況である。ここには日本人の相違に対する未熟さが表れている。

日本人は異なる人に対して優劣をつけたがる傾向にある。正社員と契約社員、営業職と事務職、刑事と交番勤務など異なる立場の人が存在すると、どちらが上でどちらが下かというレッテルを貼らなければ気が済まない。相違が格差に直結してしまうために、格差に反対する側の論理も相違を否定する悪平等主義に陥ってしまう。

その点、著者の感覚は相違があることを認めた上で、相違があることを尊重している。ここには悪平等主義も格差意識も存在しない。著者の日本人離れした感覚は閉塞感に苦しむ日本社会において非常に貴重である。
http://news.livedoor.com/article/detail/4803312/
http://www.pjnews.net/news/794/20100601_9
林田力「『村上春樹の「1Q84 BOOK3」大研究』の感想」のたる 2010年6月1日
http://www.notaru.net/book/201006/0696

政治家のブレを許さない日本政治の一歩成熟

【PJニュース 2010年6月4日】鳩山由紀夫首相は6月2日、辞任を表明した。根本的な問題は普天間問題でのブレである。鳩山氏は衆議院議員選挙前の09年7月20日に、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先を「最低でも県外」と大見得を切った。「日米政府の合意を『何も変えてはいけない』と地元に押しつけるのは違う」とも述べたが、腰砕けになった。

鳩山首相は辞任表明時に「国民が徐々に徐々に聞く耳を持たなくなってきてしまった」と語ったが、主張がぶれる人間に聞く耳を持たなくなることは当然の帰結である。これは日本政治の一歩成熟と評価できる。
http://news.livedoor.com/article/detail/4807675/
http://www.pjnews.net/news/794/20100603_8
ブレが大きな問題になった政治家は前任の麻生太郎前首相である。本人が「ぶれてない」と釈明に追い込まれたほどであった。麻生首相(当時)は09年5月29日の閣僚懇談会で厚生労働省の分割を断念したとの報道に関し、「勘違いされている。分割しろと指示したことはない。ぶれたということはない」と釈明した。

これに野党であった民主党は猛反発した。鳩山由紀夫代表は「麻生総理はぶれてない。常に中身がすぐにぶれることを繰り返す意味に置いてぶれてない。また同じことをなさった」と皮肉交じりに批判した。岡田克也幹事長(当時)も「総理の発言は重みがあるはずなのに、いとも簡単に撤回した」と切り捨てた。

麻生首相には09年2月5日に衆院予算委員会で「郵政民営化は賛成ではなかった」と失言した「前科」がある。そのため、「ぶれてない」との釈明には説得力が欠け、額面通りに受け取ることはできない。

それ故に民主党の反発は当然であるが、麻生首相が「ぶれてない」という釈明に追い込まれたことは重要である。「ぶれてない」と釈明することは、矛盾や一貫性のなさやブレを悪と認識していることの裏返しだからである。

日本人は過去を水に流す非歴史的な民族と揶揄されてきた。攘夷を口走っていた浪人が文明開化を推進したのが近代日本である。相互に相手を恨む理由がある薩摩藩と長州藩を強引に同盟させた坂本龍馬は、清々しい人物として現代でも人気を集めている。また、戦争中は鬼畜と罵っていた敵国を戦後は同盟国と呼ぶ無節操な人々が戦後日本を牽引した。

非歴史的な日本人はブレを批判されても、釈明するどころか反対に臨機応変に対応したと開き直る場合が少なくない。記者(=林田)は東急不動産と新築マンション購入でトラブルになったが、記者が最も腹を立てたことは事前に合意した内容を事前相談なく反故にすることであった(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。批判しても「それが合理的であると判断した」ためと正当化する。このような会社とは売買契約を白紙にする以外に解決策はない。

麻生首相のケースでも前時代の老練な政治家ならば「ぶれた」批判に「ぶれてない」と正面から釈明せずに、「ぶれて何が悪い」「事情が変わった」と正当化したかもしれない。その種の不誠実な開き直りが過去の日本社会では横行していた。しかし、それを許容するほど現代人はめでたくはない。

一貫性のないことは悪であり、郵政民営化問題などで前科を重ねた麻生首相にとってブレを認めることは致命傷になる。そのために苦しい強弁であっても「ぶれてない」と釈明するしかなかった。日本国民が政治家のブレを許さなくなったことは、焼け野原から経済大国にしてしまう前に進むことしかできない段階を一歩抜け出し、成熟したことの表れである。【了】

林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)
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林田力「北芝健ドメインでサイバースクワッティング(下)」

【PJニュース 2010年6月3日】(中)からのつづき。ところが後日、A氏から15万円を払っていないことを難詰する電話がなされた。北芝氏はA氏の認識違いに反論した。それ以降、サイト開設者から「約束したのに払わないのは汚い」「がっかりだ」というメールが繰り返し送られた。サイト開設者本人からもメールが送られたことから、北芝氏はサイト開設者とA氏が共謀していると判断している。

これに対し、サイト開設者は、A氏が仲裁のために「サーバ代、ドメイン代を含めて15万円で全てを買い取り、ドメインの権利も全部もらって、もうケンカやめたらどうです」と自発的に提案したものと説明する。それなのに北芝氏のブログで「A氏が恐喝犯でサイト開設者の手下」と書かれたと憤る。但し、サイト開設者は北芝氏本人への対立感情よりも、北芝氏のブレーンに問題があると強調した。北芝氏には「残念な気持ち」が強いという。なお、A氏にもメールで質問したが、回答は得られなかった。
http://news.livedoor.com/article/detail/4805484/
http://www.pjnews.net/news/794/20100530_6
その後、北芝氏は「公式サイト」をホスティングするプロバイダにも内容証明郵便で閉鎖を要求した。北芝氏によると、サイト開設者はプロバイダに「本人の承認を受けているから消す必要はない」と回答した。プロバイダは「承認を受けていると言っている以上、どうしようもない」というスタンスであった。

この点についてサイト開設者は以下のように説明する。手紙の内容は北芝氏の著書のアフィリエイトが違法などと法的な誤りや嘘が多かった。プロバイダには誤りや嘘を指摘し、「北芝さんは間違った方向に進んでいる」と返信したという。

北芝氏は「公式サイト」への対抗策として、別のドメインで「北芝健公認公式ウェブサイト」を立ち上げた。「公式サイト」の閉鎖案内には「A氏の説明と説得で閉鎖」と書かれているが、北芝氏はサイト開設者が「公式サイト」を維持することの無意味さを認識したことが閉鎖の理由ではないかと推測する。

北芝氏は「公式サイト」により、大きな仕事上の実害があったと説明する。サイト開設者が「公式サイト」のドメインのメールアドレス宛に送付された仕事のオファーを好き嫌いでブロックしていたという。これに対し、サイト開設者はドメイン宛のメールを北芝氏らのアドレスに自動転送していると主張する。5月24日付の閉鎖案内では転送設定画面も掲載して証明している。記者もメールを送信し、転送されていることは確認した。

しかし、サイト開設者から実名を掲載された修道館役員は「メールは転送されるが、サイト開設者が勝手に返事を書いて送ってしまう」と指摘し、実害が解消されていないと主張する。閉鎖案内が出されても解決とは言えない状態である。

インターネット黎明期に問題になったサイバースクワッティングはドメインの先願主義を悪用して、無関係な人間が著名なドメインを先に取得してしまう形態が典型的であった。それに対し、本件では現実の人間関係が絡み合っており、それが解決を困難にしている側面がある。インターネットが現実から離れた特殊な空間ではなく、現実の延長線上にあるものであることを示している。【了】
http://www.janjanblog.com/archives/4372

林田力「心理面重視の取調べ『「落とし」の技術』」

林田力「心理面重視の取調べ『「落とし」の技術』」
本書(北芝健『「落とし」の技術』双葉社、2004年)は元警視庁刑事による取調べの経験をまとめたものである。著者は警察時代の経験を多くの本にしているが、本書は取り調べのテクニックに焦点を絞っている。詳細な心理分析を加えており、本書で書かれた内容は日常生活での交渉や人間関係の構築にも応用可能になっている。

刑事による取調べシーンは様々な作品で描かれているが、本書の特徴は「相手の尊厳を傷つけない」ことをモットーにしている点にある。志布志事件の踏み字のように被疑者の自尊心を打ち砕いて自白に導こうとするような取調べ手法が横行している中で本書は非常に新鮮である。
http://www.janjanblog.com/archives/4501
本書では「暴力や脅しによって自白を引き出すような方法は、あってはならない」と断言する(204頁)。帝銀事件などを担当した刑事・平塚八兵衛の取調べの実態も正直に記述している。「平塚刑事の取調べを受ける被疑者は、誰もが恐怖で顔面蒼白になって取調室に入っていった。そしてしばらくして部屋を出てきたときには、体のあちらこちらに殴られた痕を残していた」(200頁)。

日本の警察には過酷な取調べで被疑者を追い詰めて自白に追い込む傾向が強い。横浜地方裁判所による再審開始決定(2008年10月)で、横浜事件は神奈川県警特高課が拷問により自白をでっち上げたものであると認定された。近年でも鹿児島選挙違反事件(志布志事件)や富山連続婦女暴行事件のように冤罪事件は繰り返されている。

著者の主張は警察の戦前から続く旧態依然とした体質とは一線を画すものである。警察組織に属していた著者が先人の手法を批判することは小役人体質ではできないことである。著者は警察擁護派を自称し、内部告発者ではない。古巣の組織を批判することは、ある意味では内部告発者以上に勇気がいる。内部告発者ならば組織と完全に対立しており、これ以上関係を悪化させようがないため、かえって批判することに躊躇はない。

但し、著者の主張がどれだけ実体を有するものであるかは疑問がある。著者は別の著作において、被疑者に「徹底的に辱めを与え精神を崩壊させる」取調べの実態を物語っている(北芝健『スマン!刑事(デカ)でごめんなさい。』宝島社、2005年、167頁)。しかも、それを「刑事にとっては最高の"ストレス発散部屋"」と言っている。これでは個人の歪んだ正義感から被疑者に暴力を加えた平塚八兵衛と変わらない。

また、「相手の尊厳を傷つけない」と主張するが、本書で紹介されたテクニックは不利な立場に追い込まれたと相手に思い込ませて相手に喋らせようとするものである。真の意味で人間の人格を尊重しているわけではない。意地悪な見方をすれば被疑者を心理的に追い込んで自白を誘う従来型捜査手法と五十歩百歩である。

このように本書には疑問があるものの、一般の人々の日常生活においても全ての人間関係において相手の人格を尊重することはできない。私自身、東急不動産(販売代理:東急リバブル)から不利益事実を説明されずにマンションを騙し売りされた経験があり、裁判にまで至る激しいやり取りがあった(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。そこでは友人や家族に対するのとは違った対応が必要になる。そのような場面において本書で紹介されたテクニックは大いに役立つものと考える。
http://astore.amazon.co.jp/hayariki-22/
林田力「北芝健ドメインでサイバースクワッティング(上)」PJニュース2010年5月31日
http://news.livedoor.com/article/detail/4798896/
http://www.pjnews.net/news/794/20100530_4

2010年6月4日金曜日

鳩山由紀夫首相辞任表明

鳩山由紀夫首相辞任表明
最低でも県外と表明した普天間問題での腰砕けが響いた。小沢一郎幹事長も辞任する。後継首相には管直人が有力。

2010年6月3日木曜日

林田力「『村上春樹の「1Q84 BOOK3」大研究』の感想」

 本書はベストセラーとなった村上春樹の『1Q84 BOOK3』の研究本である。本書は5部構成となっている。

 第I部「『1Q84』BOOK3を楽しむヒント」はBOOK1からの粗筋、読みどころの紹介である。
 第II部「『1Q84』BOOK3で謎は解けたか」はBOOK1、BOOK2で残された謎が、BOOK3でどのように整理されたかを明らかにする。
 第III部「『1Q84』BOOK1‐BOOK3解読のバリュエーション」は幾つかのテーマから『1Q84 BOOK3』を論じている。
 第IV部「『1Q84』BOOK1‐BOOK3と春樹ワールド」は特定のテーマについての過去の村上春樹作品との比較論である。
 第V部「『1Q84』BOOK1‐BOOK3からの眼差し‐比較で読む『1Q84』」は他の作品との比較論である。

 本書は研究本であるが、肝心の『1Q84 BOOK3』の考察はそれほど深くない。これは研究対象をBOOK3とする以上、仕方のない面がある。何故ならばBOOK3自体がBOOK1、BOOK2で投げかけられた謎を解明する解説書的な要素があるためである。また、BOOK1、BOOK2については、著者がメンバーの一人になっている村上春樹研究会『村上春樹の「1Q84」を読み解く』で考察済みである。

 その代わり、本書は他の作品との比較論が充実している。『1Q84』の土台となったジョージ・オーウェルの『1984年』を比較対象とすることは当然であるが、興味深い点は『1Q84』の刊行前後の作品も俎上に載せたことである。
http://www.notaru.net/book/201006/0696
 『1Q84』は川奈天吾の物語と青豆雅美の物語が交互に進む複線構造という特徴がある。さらにBOOK3では牛河利治の物語も展開する。この点に本書は『1Q84』の現代的特徴を見出す。実際、同時期に出版された宮本輝『骸骨ビルの庭』も複数のビル住人の話によって骸骨ビルをめぐる歴史が明らかにされる形態になっている。これらには「一人の声では語れない真実」「ざわめきの総体として形成されることでしか知りえない<現在>」という主題がある(241頁)。

 ここから私はインターネットの世界で爆発的に普及したツイッターを想起した。単純にコミュニケーション・ツールとしての機能では、ツイッターはブログに劣る。それでも、ツイッターが支持された背景には一人の声だけで語られる内容よりも、ざわめきの総体として形成される内容の中に価値を見出す傾向があるからであろう。

 その傾向が小説の世界でも分析されたことは驚きである。私小説というジャンルが示すように、私を描くことが伝統的な小説のテーマである。本書で『1Q84』との類比が言及されたセカイ系も自意識の物語という点でサブカルチャー分野の私小説的存在である。その物語のベースとなるべき個が現代文学では崩壊または分散する動きがある。

 私小説にしてもセカイ系にしても社会的視点の欠如が伝統的な批判であった。しかし、個性を否定する集団主義的な日本社会では、個を確立するためには社会性の犠牲は止むを得ない選択であった。個の確立と社会性のトレードオフは『1Q84』も無縁ではない。BOOK3では天吾と青豆の物語が進展した代わりに前巻までに見られた社会的テーマ(教団やリトルピープルなど)は後退した。

 『1Q84』を通読すると、現代文明批評と恋愛小説の間を揺れているとの印象を受ける。そこには「自意識の物語」(125頁)と「個の崩壊」(249頁)との緊張関係も影響していると感じられた。【林田力】
http://news.livedoor.com/article/detail/4805484/
http://www.pjnews.net/news/794/20100530_6
『やんちゃ、刑事。』破天荒でも相違は尊重
http://www.janjanblog.com/archives/4593

東急不動産小日向マンション中断

東急不動産小日向プロジェクト建設中断
東急不動産が東京都文京区で進めていた小日向プロジェクト、通称レクサス・マンションは建築確認を取り下げ、建設を中断した。このマンション建設には住民反対運動も起きていた。
東急不動産は新宿区余丁町でもマンション建設反対運動を起こされ、建築審査会は建築確認を取り消した。東急不動産だまし売り裁判の舞台になった江東区の新築分譲マンションでは、一級建築士資格を持たない無資格者が構造設計者として記録されている。

2010年6月2日水曜日

山本剛嗣氏の国家公安委員任命への警戒

弁護士で元日本弁護士連合会副会長の山本剛嗣(たけじ)氏(66)が国家公安委員に任命されたことは手放しで絶賛できるものではありません。
山本剛嗣氏は先の日弁連会長選挙に立候補して、主流派閥の支持を得ながらも、改革を唱える宇都宮健児に敗北した人物です。言わば「市民のための日弁連」を掲げた宇都宮氏の対極に位置し、派閥や反日弁連改革の象徴的存在となりました。
マスメディア幹部の指定席であった国家公安委員に弁護士が任命されることは大きな一歩です。しかし、山本剛嗣氏がどのような立場の人物であるか分析することなく、マスメディア幹部以外であることをもって絶賛することは軽率です。
「マスメディアを現役幹部のまま、そのような国家権力、むき出しの権力である警察権力に直結したポストに遇して、自民党と一体化させる」ことが問題であることは当然ですが、同じことは弁護士にも一層当てはまります。その国家公安委員に反日弁連改革の象徴的存在を抜擢する政治的意図には警戒が必要です。とても「本気で日本を民主主義国家としようとしている」とは楽観視できません。

林田力「【オムニバス】宇都宮健児氏、日弁連会長選挙当選の要因」JANJAN 2010年3月11日
http://www.janjannews.jp/archives/2856556.html
林田力「宇都宮健児日弁連新会長の課題はモンスター弁護士の排除」PJニュース2010年3月27日
http://www.pjnews.net/news/794/20100326_2
http://news.livedoor.com/article/detail/4683237/

林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)
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東急不動産の小日向マンションで建築確認に不備=東京・文京

【PJニュース 2010年6月2日】東急不動産は2010年5月23日付で、東京都文京区小日向4丁目の新築分譲マンション計画「(仮称)小日向プロジェクトII」の建築確認申請を取り下げた。東京都から北側斜線・第3種高度の制限区域において、建築確認の不備の指摘を受けたことが理由である。同日から建築工事を中断している。これらは5月29日付の近隣住民向け文書「「(仮称)小日向プロジェクトII」新築工事 工事中断について」で明らかになった。

「(仮称)小日向プロジェクトII」は東急不動産による複合開発の一環で、建設地は春日通りに面する。施工は鹿島建設東京建築支店、設計は野生司環境設計、アークロード一級建築士事務所で、竣工予定は2012年とする。同じ開発街区では新築分譲マンション「ブランズ文京小日向 レジデンス」の建設が先行しており、こちらは2010年7月竣工予定である。

「(仮称)小日向プロジェクトII」の問題は隣接するレクサス小石川販売から空中権を購入して高層マンション(100m規模)を建設する点にある。このために近隣住民からは「レクサス・マンション」とも呼ばれている。高層マンション建設に対しては、住民団体「春日通りの街並みと生活環境を考える会」をはじめとして、近隣住民らによる反対運動が起きている。

反対運動では空中権や連坦制を名目に本来ならば建設できない高さのマンションが建設され、周辺から突出してしまうことを問題視する。袋小路の奥の空地利用などを念頭とする連坦制を利用して、大通りである春日通り沿いに高層ビルを建設することは制度の濫用であると主張する。

文京区には教育機関や寺社、墓地など容積率の余った土地が多いため、連坦制の悪用が許されるならば高層ビルが乱立する危険もある。その点で反対運動は建設地周辺だけの問題ではない。また、高層建築による風害も指摘する。

近隣住民は「(仮称)小日向プロジェクトII」に対する建築基準法上の疑問点を東京都に問い合わせ、東急不動産側にも回答を求めていた。その中で建築確認申請が取り下げられた。確認申請の取り下げについて、「春日通りの街並みと生活環境を考える会」では会報で「彼らは違反建築物を建てようとしていたことを認めたことになります」と評する。

今回の工事中断について、東急不動産側は2010年6月12日19時から文京区立アカデミー茗台にて説明会を開催する予定である。【了】

林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)
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西新井警察署で誤認逮捕足立区

西新井警察署で誤認逮捕
東京都足立区にある西新井警察署で主婦が誤認逮捕された。目撃証言だけに頼り、裏付け調査をしなかったことが原因。

2010年6月1日火曜日

林田力「『逢えてよかった』少年少女を見下す大人への怒り」

本書(石原伸司『逢えてよかった—夜回り組長にココロを預けた少女たちのホンネ』産経新聞出版発行、日本工業新聞社発売、2008年8月8日発行)は少年少女の更生に尽力する著者(石原伸司)の活動記録である。

著者は暴力団組長であったが、引退後に作家となった。現在は作家として活動しながら、渋谷センター街などの繁華街を夜回りし、一人でも多くの少年少女を悪の道から救おうとしている。いつしか著者は「夜回り組長」と呼ばれるようになった。
http://www.janjanblog.com/archives/4417
本書の特色は著者が非行に走る少年少女達と正面からぶつかっていることである。綺麗事や理屈ではなく、体当たりでぶつかっている。それ故に少年少女から真実を引き出せている。実際、本書ではリストカットを繰り返す両親や娘に売春を要求する親など、非行に走った少年少女達の衝撃的な家庭環境が明かされている。これらは当人にとっては中々他人に話せない内容である。それを聞き出せただけでも、著者が少年少女から信頼されていることが分かる。

そして著者の優れている点は現代の少年少女が置かれている厳しい社会環境を問題として認識していることである。現代の少年少女は、過去の世代と比べると物質的には豊かであり、はるかに恵まれている。そのため、現代の少年少女の非行を物質的豊かさ故の精神的病理と分析する向きもある。

しかし、この種の分析には落とし穴がある。非行に走る少年少女は甘やかされて育った現代っ子特有の贅沢病と突き放すことになりかねないためである。それは少年少女の苦しみから目を背け、「最近の若い者は」的な無意味な批判に陥ることになる。そして自衛隊に入隊させて性根を叩き直せば良いという類の間違った解決策を生み出すことになる。

これに対し、著者は現代っ子が昔以上に大変な状況にあると認識している。故に著者は「最近の若い者は」と無意味に偉ぶることはしない。これが著者の夜回りの大きな成功要因である。当たり前のことのように思えるが、これは非常に大変なことである。著者自身は敗戦後の焼け野原の中を浮浪児として過ごしている。食べることや寝る場所を探すことに苦労する少年時代を送っていた。生物的な意味で生きることの大変さは現代っ子の比ではない。

著者は「悪の道を歩いてきた自分だから、非行少年少女を受け止められる」と言うが、それほど簡単ではない。むしろ凡人ならば「俺の方が苦労している。それに比べて最近の若者は……」となってしまうのではないか。その意味で少年少女の苦しみを受け止められる著者の共感力には非常に優れたものがある。

その著者が本書で少年少女が荒れる原因を端的に説明している。それは以下の文章である。

「子供を軽く扱い、軽視する、そんな大人の態度は子供にもわかる。子供がイラつき、キレる原因はこれだろう」(117頁)。

記者(=林田)は東急不動産(販売代理:東急リバブル)から不利益事実(隣地建て替え)を説明されずに新築マンションを購入してしまった経験がある。これは裁判にまで発展するトラブルになった(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。

記者の怒りは騙し売りをされたことに対して向けられただけではなかった。「たらい回しにしておけば泣き寝入りするだろう」というような消費者を見下す東急リバブル・東急不動産の不誠実な姿勢にも怒りをかきたてられた。それ故、著者の分析には大いに共感する。

記者には東急リバブル・東急不動産という明確な敵、分かりやすい悪があった。しかし、子ども達の場合は漠然とした大人社会に対する反感となってしまい、怒りの明確な対象が見えにくい。その結果、自分や身の回りの人を傷つける方向に向かってしまう。ここに大きな悲劇がある。

少年少女の問題は当の少年少女ではなく、大人が大人の視点で論じるため、どうしても少年少女の現実を無視した的外れな議論となってしまうという限界がある。その中で本書は少年少女と正面からぶつかった力作である。少年少女の置かれた状況を理解するために多くの人に読んでほしい一冊である。

林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)
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北芝健ドメイン問題

北芝健ドメイン問題
北芝健のドメインで開設されていた北芝健公式ウェブサイトと称するホームページに閉鎖の告知が掲載された。北芝氏は一年弱もの間、非承認であり、削除を求めていた。詳細はPJニュースに掲載されている。